クリス・デイヴだけで買いです。
John Legend『Darkness and Light』(columbia)
目ざといな。と思いました(笑)。
クリス・デイヴ(drms)、ピノ・パラディノ(b)、カマシ・ウォーシントン(ts)を起用するとは。
まあ、それだけ、グラスパー一派の与えた衝撃は大きかったのですね。
カニエ・ウェストの舎弟として、ラッパーではなく、ソウルの方向に進んだジョン・レジェンドですが、「The Roots」をバックに従えのアルバムがものすごくカッコよくて、とても愛聴していたんですがその次に出た作品が今ひとつでチョットがっかりしていたんですが、今回は、前述のメンバーを起用してサウンドの刷新を図ったのが見事に大当たりでしたね。
とにかく、クリス・デイヴですよね。
彼のドラムが全編にわたって大活躍です。
バスドラとスネアだけでほとんど成り立っているような、まことに特異なドラムですが、ソレだったらプログラミングでもおんなじなんでは?というところを敢えて人力でやっている、というか、人間がマシンの運動を習得しているというか、その事が生み出す新しい感覚が気持ちいいんですよね。
なんというか、今までマッサージされた事のない場所をグッと押されて、予想外にいた気持ちいいところを突かれたといいますか(笑)。
私は音楽を聴く時に、そう言った、何か刺激されていない快感がまだあるんじゃないのか?というものを求めているところがありまして、ソレが現在のドラマーだと、完全にクリス・デイヴですね。
レジェンドが彼を起用したのは、なんちゃってでも、豪華なくアルバム作ってますよ感を出すのでもなく、あのユニークなドラミングを如何に活かすのか。を中心に据えている事が、聴いているとハッキリわかるんですね。
自分のエゴを抑えて、彼を中心に曲を作って行ったらどうなるのだろうか?という事を考えて作っているんですね。
コレは売れてくるとなかなかできない事だと思うんですが、それほどまでに、惚れさせてしまうクリス・デイヴのドラムが圧倒的に素晴らしいです。
まあ、レジェンドはこのドラムに対して、ディアンジェローのようなリズムの訛りを探求したりするところまではいってないんですけどもね。
まあ、それは贅沢な望みなのであって、クリス・デイヴの作り出すグルーヴに乗って、あの、ジョン・レジェンドが歌いまくっているんですから、極上のブラックミュージックですよ!
あと、ラリー・ゴールディングスのさりげないオルガンがよかったです。
最近のアフリカ系のミュージシャンのアルバムジャケットが白黒が多いのは偶然ではないと思います。アフリカ系アメリカ人が警官に不当に殺害されている事への無言の抗議なのでしょう。
Dr. Johnを知らないなんて事はないよね?
Dr. John『Creole Moon』『N'awlinz: Dis Dat or D'Udda』
2017年現在も現役で旺盛な活動をしている、最早、ニューオリンズの生き証人のような立場となったDr.ジョンですが、2001年という、アメリカが神経症を発症し、そのを原因をイラクやアルカイーダなどのテロ組織のせいにしていたという、地獄の季節に作られた本作は、久々に彼の中に眠る荒々しいエナジーがアルバムに刻印された、なんというか、「元気な中年のアルバム」なのでした。
ある意味、いつもの彼なんですが、バンドの演奏も彼のヴォーカルも、妙に気合が入っていて、90年代に入って少し穏やかな作風になっていた(ただし、中身は濃い)ところを、いい意味で裏切ってくれました。
彼の余りにも様々な要素が混合した作風は、一言で言うのは難しいのですけども、一貫してニューオリンズほ音楽を大切にし、まさに、「ニューオリンズ音楽の親善大使」を務めてきたのは、間違いのないところで、彼なくして細野晴臣も大瀧詠一もあり得ませんでしたし、世界じゅうにロックファンにニューオリンズのユニークな音楽を伝えた功績は、大変なものがあります。
Dr.のダミ声はとても魅力的で中毒性がありまして、好きになると、トコトン追いかけたくなります。
参加しているミュージシャンはそれほど私は詳しくないのですが、若い世代を起用しているのだと思います(間違ってたらスンマソン)。
ものすごくブルースギターの演奏が耳に残るなあ。と思ったら、サニー・ランドレスでした(笑)。
そりゃいいわけだ!
ベテランでは、ファットヘッド・ニューマン(テナーサックス)、フレッド・ウェズリー(トロンボーン)の名前が見えますね。
Dr.の音楽は、どちらかというと、自分の世界を追求するタイプなのですが、大傑作『Gris Gris』や本作、そして、2012年に出た『Locked Down』のような、時代の空気を絶妙に取り込んだ作品を思い出したように発表するアブないところがあって、そこが魅力なのですが、本作も、「テロとの戦争」という、無謀な戦争が始まってしまったアメリカの空気を彼なりに取り込んだ、いい緊張感がみなぎる作品です。
当時の私はジャズに熱中していて、ほとんどのジャンルの音楽をおいてきぼりにしていたので、このアルバムの存在をしばらく知らなかったのですが、コレはDr. ジョンの代表作の1つと言ってよいアルバムです。
コレに対して、『N'awlinz: Dis Dat or D'Udda』の方は、ストリングスまで加え、豪華なゲストを多数加えた、リラックスした作品で、元の彼に戻っていますね。
リラックス。とはいえ、彼の悲しみはむしろ深まっていて、まるでニューオリンズの葬儀に流れるような調子の歌から始まり、次の曲が、明るい曲になるというのは、ホントにニューオリンズの葬儀の音楽の流し方(行きは悲しく、帰り道は明るい曲になるのがニューオリンズの流儀で、アフリカの葬儀でもしばしば見られる事です)で、あたかもテロや戦争の死者への弔いをしているようなアルバムです。
むしろ、怒りや悲しみは深まっているのでしょう。
この2in1のCDを出したのは、音楽愛好家にとって大変重要なレーベルであるRhikoなのですが、恐らくは、単にお得だから作ったのではなく、この2枚は続けて聴くことに意味があると考えたフシがあります。
音楽は、政治的な暴力を前にして無力です。
しかし、であるからこそ、ラディカルたり得るというのもまた事実ですね。
そういう事を改めて考える次第なのでした。
彼らの怒りは未だに有効である。
Rage Against The Machine『Evil Empire』
ヤバいジャケットですよね、コレ(笑)。
レイジ・アゲンスト・ザ・マシーンの2枚目にして、最高傑作。
まず驚くのは、バンドのサウンドが前作と比べて、作り込みが相当すごくなっているにもかかわらず、むしろ、無駄が削ぎ落とされたような印象を与える事ですね。
音の隙間がものすごく活かされていて、ヴォーカル、ギター、ベイス、ドラムスがそれぞれクッキリ聴こえます。
それこそ、初期のミーターズ並みにクッキリしてますね。
特に変わったのはギターだと思います。
ギターが変わったので、ベイスもドラムスも変わり、よりザックのラップがクッキリとしてきたのではないでしょうか。
トム・モレノは、これまで聴いたことのないような独特の音をギターで作り出し、まるで、ターンテーブルのスクラッチノイズのようにものすごく即物的にギターを扱っていて、ロックギター的な要素が限りなくなくなっているのがすごいですよね。
ギターリフのアイディアもこれ以上ないくらいにシンプルなのに、これまでの誰にも似てない独特なリフをこれでもかこれでもかと繰り出してくるのに驚いてしまいますね。
もともとヴォーカルはほぼラップですから、フロント2人にメロディの要素が少なくなってくると、ベイスがものすごく際立つわけです。
そんなに独特なリフを弾いているわけではないんですが、ザックとトムが作り出している隙間にヒップホップを思わせるベイスラインを弾くと、これほどカッコ良く聴こえるのかと驚きますね。
ドラムスもこれにともなって、バスドラとスネアがほとんど音の基調になっていて、出ている音はデカいですが、手数は前作よりも減っています。
こうする事でどちらかというと押しまくり気味の楽曲が多かった1枚目と比べて硬軟併せ持つ楽曲になっていったところが彼らの成長を感じます。
その結実が本作が「Without A Face」であると私は思うのですが、どんなものでしょうか。
トム・モレノのギターはほとんどヒップホップのバックトラックのノイズやターンテーブルのスクラッチノイズを担当していて、ティム・ボブのベイスとブラッド・ウィルクのドラムスはまるでバックトラッカーが作り出したループを演じているかのようで、ここにザックの怒りのラップがかぶる快感はとてつもなく、それでいて、ヘヴィメタルのように曲が突然展開するというのは、ものすごいアイディアですよね。
たったの2枚目のアルバムで音楽的にここまで成長してしまったというのは、すごい事ではありますが、だんだん、ライブでの再現が困難になっていき(特にトム・モレノが物理的にエフェクターを切り替えていくのがかなり困難です)、本作からライヴで演奏されるのは、比較的トムのギターリフがロックギターしている曲が多くなってしまうという事が起きてしまっています。
ビートルズからのジレンマではあるのですが、そこにたったの2作で陥ってしまうというところにこのバンドの物凄さを感じます。
この後、またしても長い間をあけて『Battle of Los Angeles』を発表しますが、本作が行き着いたヒップホップ化、ファンク化はかなり諦めてしまって、ハードロック調になってしまい、それから程なく一旦解散してしまうのは、ある意味致し方なかったのではないでしょうか。
驚きのPVの一場面。。
からの竹内まりあです。
竹内まりや『Longtime Favorites』
1960年代のポップスのカヴァーのみを収録した、実に肩の力が抜けたアルバム。
山下達郎と大瀧詠一のデュエットがそれぞれ一曲ずつ入っているのが目玉ですが、それが仮になかったとしてもこのアルバムは傑作と言ってよいでしょう。
彼女のすごさは、どの曲を歌ってもすべて彼女の曲になってしまうところです。
あたかも彼女のための曲になってしまうんですね。
カヴァーというのは、あんまり自分に引き寄せすぎてもいけないし、かと言って、あんまりオリジナルにより近づけると、カヴァーしている意味がなくなってしまうので実は結構難しいです。
ましてや、ここで取り上げている曲は、どれもこれも大ヒット曲ばかりで、オリジナルを知らなくても誰かのバージョンで必ず一度は耳にしているというものですから、どうしたって比較対象となってしまうのですが、彼女の歌唱はやはり桁が違っていますね。
私が特に気に入ったのは、「なみだの16才」、「ボーイハント」、「そよ風にのって」、「悲しきあしあと」、「ジョニー・エンジェル」、「砂に消えた涙」、「恋のひとこと」、「この世の果てまで」。
特に、「そよ風にのって」、「悲しきあしあと」、「ジョニー・エンジェル」、「砂に消えた涙」の4曲はホントに見事だと思いました。
逆に、イタリア語で歌うカヴァーは私は彼女の芸風と合ってないと感じます。
一部、服部克久がアレンジしてますが、他はすべて山下達郎がアレンジをし、楽器演奏の大半をこなし、バックヴォーカル、果てはデュエットまでしているのですが、「悲しいあしあと」をニューオリンズ風にアレンジするセンスには脱帽です。
また、「ジョニー・エンジェル」の女性コーラスの透明な美しさは、まさに絶美!
本作発売時点で、すでにアルバム制作としては「ヴィクトル・エリセ状態」になっていた大瀧詠一とのデュエットですが(これを呆気なく実現させてしまうのが、竹内まりあの神通力なのでしょう)、コレを聴いていると、返す返すも大瀧詠一にはあと一枚アルバムを作って欲しかったという思いが募りますね。残念。
突然、ベートーヴェン!
Beethoven piano sonata no.8 op.13「Paghétique」, no.21 op.53「Waltstein」, no23 op.57「Appasionata」
Piano : Claudio Arrau
ベートーヴェンのピアノソナタを80歳をゆうに超えたアラウが改めて挑んだ録音ですが(残念ながら、全曲録音の前に亡くなりました)、私はアラウは圧倒的に晩年の演奏が素晴らしいと思います。
若い頃のアラウの演奏はなんだか脂っこくて大味で、ハッキリ言って何が面白いんだかわからなかったんですが、老境に入ってからピアノからムダな力と脂っこさが取れていくと、そこには地味ながら濃厚な旨味が残っていたという塩梅でして、テクニックは衰えているのに、それが表現に全くマイナスになっていないのがすごいんですね。
この「悲愴」も、あわてず騒がず悠然と構えて常に60%の力で弾いているという感じでして、普通、こんな風に弾いたらこんなドラマティックな曲、つまんなくなりそうなんですけども、全くそうならないのがまことに不思議です。
「ワルトシュタイン」にもおんなじ事が言えまして、とにかく泰然自若。
ドラマティックに弾こうとしないのに聴き手を知らず知らずの内にベートーヴェンの世界に連れて行ってしまいます。
なんというのでしょうか。80歳を過ぎた朝比奈隆がこの曲弾いたらこんな感じなのでは。という感じですね。
小技は一切なくて、ただただベートーヴェンを一途に追い続けできた事の総決算のような、熟成された世界ですよね。
コレは、どうしたって若い人には到底できない演奏ですね。
おじいちゃんなので、ピアノのタッチは決して強くないのに、表現が弱々しくないどころか、むしろ、太い。
そこが朝比奈の指揮するベートーヴェンとも似ています。
緩余楽章の止まってしまいそうなくらいのタイム感覚に驚きますが、そこから切れ目なく続く第3楽章のジワジワと押し寄せる名状しがたい感銘と言ったらないですね。
ココでもアラウはジックリと弾きます。並のピアニストでは間が持たないかもしれませんね。
コレだけ雄大な、まるで一大シンフォニーのように鳴り響くベートーヴェンは稀有と言っていいでしょう。
そして、コレを更に一層濃厚にしたのが「熱情」です。
より一層アラウのピアノは骨太く、もうベートーヴェン以外何も感じさせないピアノで、そのスケールの大きさは唖然としてしまいます。
アラウの芸風と曲が見事に合っていると言えるでしょう。
もはや、どこからがアラウでどこからがベートーヴェンが判別ができず、まるでベートーヴェンが弾いているかのような錯覚すら覚えます。
若いピアニストには絶対に弾きこなせない境地というものが間違いなくある事をアラウのピアノは教えてくれます。
残念な事に、晩年のベートーヴェンのピアノソナタの録音は、2017年現在、なぜか入手が困難で、1960年代にフィリップスに録音した全集ばかりが流通しています。
しばらく廃盤となっていたベートーヴェンのピアノ協奏曲全集はタワーレコードの企画盤として復活していますが、是非ともこちらも復活して欲しいものです。
ちなみに、私の所有するものは、この3曲が入った、1996年にフィリップスから出されたCDですが、中古店を粘り強く探すしか今のところはないようです。
1980年代に、まだこれほどのスケールのピアニストが生きていた事、それ自体が驚きとしか言いようがないですね。
晩年のアラウ。
この頃のEWFが好きですね。
Earth, Wind & Fire『That's The Way of The World』
画像には入りきりませんけども、9人編成のバンドでした。ヴォーカル2、ギター2、キーボード1、ベイス1、ドラムズ1、パカシュン1、サックスorフルート1が基本で、ほぼ全員がパカシュンを担当してます。
アースというと、「September」を代表とするディスコティークでキラキラとしたヒット曲のイメージが圧倒的で、サン・ラとほぼおんなじライヴコスチュームも含めて私もそんなアースが大好きなのですが、初期のソウルフルなスタイルもまた素晴らしいのです。
知らなかったのですが、実は同名の映画のサントラとして製作されたアルバムなんですね。
なんと、監督は『スーパーフライ』と同じ、シグ・ショア。
この映画は70年代に流行った、B級ブラックムーヴィの1つで、カーティス・メイフィールドがサントラを担当した事で有名ですが、サントラはともかく映画の出来は正直残念なものでした。
そのショアは、今度はアースを起用して、しかもサントラだけでなく、出演までさせた映画で、なんと、主演はハーヴェイ・カイテルです。
内容的は『スーパーフライ』同様にコレまた酷く(笑)、しかし、音楽は反比例して素晴らしく、初期のアースの音楽性を決定づけることとなりました。
なので、サントラとしてというよりも、完全に独立したアルバムとして楽しむものと言ってよいでしょう。
モリース・ワイト、フィリップ・ベイリーによる鉄壁のツインヴォーカル、大量のパカシュン、輝かしいホーンセクションはすでに確立していて、そういう意味ではアースの音楽性はもう完成していたんですが、あとは「宇宙」というコンセプトとよりクリアな音像があれば、よかっただけだったんですね。
ただ、なんというのかな、「宇宙からやってきた大編成ファンクバンド」になってからの、いささか鉄壁にすぎる人工的な音作りは、少し抵抗感がないではない。
この頃のバンドが一丸となってファンクをやっている頃がどちらかというと好きですね。
分厚くて、温かみのある、いかにもあとアナログレコードらしい音作りが私にはたまらないです。
とりわけ、1曲目から2曲めの流れは最高ではないでしょうか。
フィリップ・ベイリーのファルセットが冴えまくるタイトル曲は、アース史に残る名曲であると思います。
もともとジャズドラマーであったモリース・ワイトが兄弟のヴァーダイン、フレッドを加えたバンドですのから、楽器の演奏能力がものすごくあるバンドなので、「Africano」のようなインスト曲も素晴らしい。
ファンクやソウルが好きな方には、この頃のEWFもまた気に入っていただけると思うのですが、どんなものでしょうか。
ヒットしてからは、こんな『スターウォーズ』みたいな格好になってしまいました(笑)。
追伸
聴いていると、どう考えてもトランペットとトロンボーンが聴こえるんですが、誰が演奏しているのかわかりません。
恐らくはスタジオミュージシャンが入ってるんでしょうけども、この頃のEWFはクレジットがしっかりしていないようで、日本語のwikiと英語のwikiではパーソネルが一致しません。
もうスターになる準備は既に整っていた。
David Bowie『Hunky Dory』
一般的には『Ziggy Stardust』での爆発前の作品として、地味な扱いを受けるアルバムですけども、この2つのアルバムにそんなに劇的な違いは実はないんですよね。
でも、音楽的には評価が全然違っているというところに、デイヴィッド・ボウイというミュージシャンの秘密があるような気がします。
多分、ミック・ロンスンの活躍の度合い。が両者の評価を分けている気がしますけども、その意味で考えると、「Life on Mars?」での決して長くはないけども、とても印象的なソロを弾くロンスンのギターの素晴らしさを見いだしたという事が、本作の最大の収穫だったのかもしれません。
ボウイのロマンチシズムが爆発する唱法と、それを支える大仰なストリングス、ロンスンの身をよじるようなギターが渾然一体となった、ボウイ史上ベスト3に入る名曲ですね(ということは、ロック史上の名曲ということです)。
また、ボウイ独特のチープなファンクネスが横溢する「Changes」や「Oh, You Pretty Things」という、いわゆる「Young Americans期」のボウイの萌芽も既にみられ、それ故に本作はとても私は好きなんですよね。
こういう新しい試みと、これまでのフォークロック路線が無理なく同居していて(そこも次回作と同じなんですけども)、こちらにも、「Andy Warhol」やシメである「The Bewlay Brothers」と言った名曲があるのですから、本作は『Ziggy Stardust』と同じくらいの評価を得ても何らおかしくないんですよね。
多分、後は、「ジギースターダスト」というコンセプトだけだったんですね、ボウイになかったのは。
とにかく、アメリカへの屈折した愛を歌い続けるシンガー&ソングライターとしての実は大傑作アルバムなのよ。聴かないと勿体ないですよ。という事で本論を締めたい。
ジャケットも麗し。