mclean-chanceの「鯔背でカフェオーレ」

ジャズ以外の音楽について語るブログです。生暖かく見守ってください。

コレが大ヒットした事が今日にそのまま繋がっている気がする。

RADIOHEAD『OK COMPUTER』

 

1990年代のロックを代表する一枚にして、レディオヘッドの名を世界的に広めた作品。

全体を覆う、どうしようもない陰鬱さと閉塞感がすさまじい。

それは現在聴いてもヒシヒシと感じるのだから、相当なものです。

どの曲もものすごいスタジオワークの所産で、やはり、デジタル機材を使うとこんな複雑な音響があっという間に処理できてしまうんだあ。と。

かつては、こういう作業はテープをつなぎ合わせて編集したんだと思いますが、そういう作業が、もうパソコン上でできてしまうという。

多分、膨大に録音して、エンジニアやプロデューサーとああでもないこうでもないとやりながら編集して作った音なのでしょう。

彼らを代表する名曲「パラノイド・アンドロイド」で、あえてギターの音を異様なほど前に出して、コレを猛烈に歪めたり、引っ込めたりというのは、テープでもできますが、ここまで滑らかにできてしまうすごさですよね(当然、逆もできるわけです)。

そういうテクノロジーの発達がすごいんではなくて、バンドのメンバーの表現と見事に結びついているのが素晴らしいんですね。

決して万人向けとは思えない、シリアスで悲痛な音楽だと思いますが、コレが当時大変ウケて、しかも、RADIOHEADは未だに現役でトップクラスであるというのは、やはり、彼らが単に暗い曲を作っているバンドなのではなくて、社会を覆っている閉塞感や怒りを自分たちの表現に結び付けているからなのでしょう。

コレ以降もレディオヘッドの音楽性は変化してくのですが、ココで展開する胸を締め付けるような悲痛さは、終始変わっていない気がします。

この陰鬱が何かそのまんま解消されずに、昨今世界を覆っている無差別テロ(もはや、テロとすら呼べない、単なる無差別殺人も見られます)やISの出現、アメリカ合衆国初の「大王」の誕生という形で噴出してるような気がするのは、私だけでしょうか。

 

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今聴いても新鮮!

細野晴臣泰安洋行

 

 

いわゆる「トロピカル3部作」の2作目ですが、コレは、ニューオリンズ、沖縄が強い作品です。


70年代のウェストコーストのロックに後追いどころか、ほぼ同時進行しているのが、驚異的ですね。

聴いたことがない人に、「アメリカで、こういう変わったロックのアルバムが1970年代にあったんだよ」と言って聞かせても、バレないでしょう。

それくらいのクオリティですね。

ここでのニューオリンズや沖縄のリズムの解析をコンピュータを使ってより精緻に行ったのがYMOですから、細野にとっては、ここで行っている事とYMOには、それほど飛躍はないのだと思います。

言い方は、おかしいですけども、「人力YMO」と言いますか、今聴くとそういう風に聞こえなくもない(YMOの初期のライヴは、渡辺香津美などのサポートミュージシャンが入っていたので、思いのほか人力バンド、というか、フュージョンなのですが)。

それにしても、このアルバムには参加しているミュージシャンの腕前には、細野を含めて心底驚きますね。

ただ、これを当時の音楽ファンのリテラシーを考えると、誰もが絶賛したとは思えないですね。

Dr.ジョンやリオン・ラスル、ライ・クーダーが当時のロックファンに多く聴かれていたとは思えませんし、かなり先進的な一部のファンのみを熱狂させたのではないでしょうか。

彼の独特の楽園志向は、やがて、横尾忠則とのインド旅行(かなり体調を崩してひどい目にあったようてすね)、あるいは、中沢新一との共著『観光』(残念ながら、現在は絶版です)にも結実していくのですが、とにかく、今聴いても驚きの連続であり、しかも、現在まで彼の活動が如何に一貫性があるのかという事にも驚いてしまいます。

恐るべき傑作であります。

 

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 現在はちくま文庫版も絶版です。

 

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呪術師が歌うR&R、R&Bが素晴らしい。

T. REX『Electric Warrior』

 

英国ロックで、ジミヘンと並ぶ、太く短く生き切った、マーク・ボラン率いるT. REXの全盛期のアルバム。

声量も乏しいし、ギターがうまいとは言えないボランが、一時期はデイヴィット・ボウイすらしのいでいたのではないか?という勢いを持っていたのは何だったのかと改めて考えてみると、ボランの黒人音楽の持つ呪術性への理解が卓越していたからに他ならないでしょう。

アフリカの部族社会では、未だに呪術というものが有効で、音楽で病気を治療するという事が行われているようですが(1980年代でも九州ではそういう民間治療がいたようです!)、ボランの素晴らしさは、その卓越したリズム感と、それをものすごく強調した作曲(ワザとドラムとパーカッションの音を大きくミックスしてますね)そして、そこに乗っている、幻惑的というか、多分にボランのドラック体験に基づく詩の世界が組み合わされた、まさに呪術的としかいいようのない世界ですよね。

そこに、あのささやくような呟くような、細かいヴィヴラートのかかったヴォーカルを絶妙に乗せていく事で、独特の陶酔感と高揚感が入り混じったような感覚が生まれます。

コレは、T.REX独自の感覚です。

このプラスティックでできたようなロックンロールは、プリンスにも相当影響を与えたのではないでしょうか。

そして、本作を名作にしているのは、なんといってもプロデューサーのトニー・ヴィスコンティのきらびやかな演出(キラキラとしたストリングス、エコーをかけまくった手拍子、チープなホーンセクション)が、更にT.REXの「紛い物感」を見事なまでに増幅させ、独自のモヤモヤとした呪術性を浮かび上がられております。

次回作『The Slider』とともに永遠に語り継がれていくであろう大名作。

 

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男泣き!

The Band

     『Music from Big Pink』

 

 

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19世紀末のアメリカからやってきたのではないかという風貌(リーヴォンを除くメンバーは全員カナダ人ですが)

 

ロック史に燦然と輝く名盤。

あのエリック・クラプトンがクリームでの活動に嫌気がさしていた時にこのアルバムを聴き、今後の自分の方向性が定まったほどの影響を与えました。

それが、あのデレク&ザ・ドミノウズの結成に結実していきます。

また、ジョージュ・ハリスンはこのアルバムを大量に購入して、「このアルバムはすごいから聴け!」と言って知り合いに配りまくっていたそうです。

彼もソロに転向してからの作風は、やはり、アメリカ南部の音楽への志向を露骨に出していました。

こんな渋いアルバムが1968年にひっそりと発売され、そこそこの売り上げがあったというのは、ある意味すごい事です。

なんと、全米最高30位です。

たしかに、The Bandは、ライヴの時のボブ・ディランのバックバンドだったわけですから、それなりの知名度はあったわけですけども、彼らの仕事は裏方ですから、ホントに地味な存在であったはずです。

その辺の社会的な背景は不勉強は私にはわかりません。

日本でも、細野晴臣などの先鋭的なミュージシャンが早くからこのアルバムの凄さを察知していて、高く評価していたようですね。

ボブ・ディラン作曲も含めたどの曲も見事とというほかなく(しかも、ディランのバージョンのクオリティを軽く超えていますね)、かいつまんで聴くよりは、アルバム全部を聴き通すような聴き方が向いている作品だと思います。

 

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タイトルの由来となった「ビックピンク」。ただし、アルバムの録音はここで行われたわけではないです。

 

R&B、ソウル、ゴスペル、フォーク、カントリーという要素を実に渋くミックスしていく感覚は、およそ新人離れいて、このデビュー作で完成の域に達してしまっています。

タメの効いたリーヴォン・ヘルムのドラム、オルガンを自在に操るガース・ハドソン、決して前に出ることのない、さりげなさが魅力のロビー・ロバートソンのギター、リーヴォンとともにリズムを強力に支えるリック・ダンコウのベイスが見事なまでに噛み合っています。

メンバーはまだかなり若く(ロビー・ロバートソンとリチャード・マニュエルはまだ25歳ですよ!)、この年齢とやっている音楽のギャップがものすごいものがあります。

ヴォーカルもとても20代とは思えないですよ。

ものすごく音楽的に老成していたんですね。

どの曲も素晴らしすぎて評価不能ですけども、私の愛するリチャード・マニュエルの不安定なファルセットで歌われるラストの「I Shall be Reliesed」は感涙もの!

リチャード・マニュエルのヴォーカルなくして、ザ・バンドはありえないのです。

私は本作でブラックミュージックの底知れない凄さを知りました。

これを聴かずにロックを語ることなど許されないほどの大傑作です。 

 

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 ディランは絵の才能はないよね。。

 

 

混血と雑食がアメリカの強みでした。

Joe Bataan

         『Afropofilipino』                            

                             (salsoul

 


ジョー・バターンの全盛期を代表する1枚。

A面はニューヨークで活躍するスタジオミュージシャンが一同に会しての録音で、B面はややメンバーは地味とはいえ、西海岸らしいユルさが汪溢する、ロサンジェレスでの録音。

これから数年後、山下達郎のソロデビュー作も、A面ニューヨーク、B面ロサンジェレスの録音でしたが、コレにさきがけて(?)の録音という事になります。

まあ、どうしてもA面の豪勢さに目を魅かれますけども、B面も出来は悪くなくて、オルガンやコンガがめちゃくちゃ気持ちよくて、私はとても好きですね。

A面はいつものバターンにめちゃくちゃ腕っこきのミュージシャンがバッチリついていて、アレンジも完璧という、もう言うことなしの70年代ど真ん中サウンドですけども、バターンはもう少しユルい方が良い気もします。

非常によくできた、重心がシッカリとしたファンクであり、その反面、ラテンがやや後退します(このメンツだと必然的にそうならざるをえませんね)。

ラテン音楽なのに、ソウルフルに歌い上げる。ということを「サルソウル」と名づけるセンスが素晴らしいバターンですけども、サンタナとはまた違ったラテン音楽と北米音楽の融合を、東西で成し遂げた、いわば、アレキサンドロス大王的な名作。

残念ながら、CD、LPともに入手困難ですが、比較的安価に中古LPが店頭では入手可能です。

ネットだと少々お高くなってしまいますね。。

バターンは根強い人気があるので、再発されるのを待つのもよいでしょうし、こういう音楽を聴かせてくれるお店でリクエストして見ると、マニアックな店長にジョー・バターンの事をコッテリと教えてもらえると思いますよ。

 

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和みの傑作。というのはあるのですね。

John Sebastian

                   『Tarzana Kid』

 

 

ラヴィン・スプーンフルを呆気なく脱退してしまったジョン・セバスチャンの1974年のソロ作。

オッ、すごいマンドリンがうまいなあ。と思ってパーソネルを見てみたら、ライ・クーダー(笑)。

そりゃうまいわけですが、この作品、とにかくメンバーが異様に豪華です。

というか、70年代のアメリカのロックって、こういう作り方が案外普通で、あるミュージシャンが一応リーダーとして顔は出ているんですけども、そこに友人のミュージシャンをゴソッと参加して、みんなでいい仕事をしようみたいなやり方がとても多い。

ココに、参加しているミュージシャンを羅列してみますと、

ローウェル・ジョージュ、ライ・クーダー、エイモス・ギャレット、デイヴィッド・グリスマン、デイヴィッド・リンドリー、エミルー・ハリス、ケニー・オルトマン、ジム・ゴードン

となりまして、まさに、70年代の西海岸を代表する人々が集結しておりますね。

一人ひとりが何者なのかを説明していると、もう、アメリカロック史になりますから、一切割愛しますけど(それだけすごい人が集まっているという事ですね・笑)、こういった人々を起用できてしまう、当時の西海岸のロックの独特の緩い連帯感が私はたまらなく好きで、ロックはほとんど聴かなくなった今でもこの辺のロックはついつい手がでます。

セバスチャンのやっている事は、ある意味、スプーンフルから一貫していて、ラヴリーな楽曲をマイペースに歌い上げるということに終始しているわけですが、フォーク、カントリー、ブルースなどをほのぼのとした感性でミクスチャーする才能は見事ですよね。

クリフ・リチャード「スィティンギン・リンボウ」、「リトル・フィート「ディクシ・チキン」と言ったカヴァー曲とセバスチャンのオリジナルが溶け合っているようで、こういう才能はライ・クーダーと互角だと思うんですが、セバスチャンは今ひとつキチンと評価されていない気がします。

まあ、そういう慎ましいところがまたセバスチャンの魅力ではあるのですが。

ほのぼのとした凄み。というのは、あり得ませんし(笑)。

全体として、「もう1つのありえたかもしれないリトル・フィート」には聴こえますね。

よって、リトル・フィートが好きな人にはたまらないと思います。

70年代の西海岸が生み出した、一服の清涼剤。大名作。

 

 

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この地味なジャケットからは想像もつかない滋味が溢れる名盤です。 

Led Zeppelinは誰がなんと言おうとロックンローラーなのね。

Led Zeppelin『Presence』

 

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もはや説明不要の4人。わからない人はグーグルで調べてね。

 

名曲「アキレス最後の戦い」の入ったZeppの後期のアルバム。
この伝説的なバンドはもう腐るほど論じられているので、今更、新しい事実などないと思いますが、私がこのバンドに感じている事をつれづれなるままに書いてみましょう。
ハッキリ言って、Zeppには、1枚も名盤と呼べるアルバムはないと思う。
というのも、彼らのアルバムはとにかくすごい曲と捨て曲の差がありすぎる。
衝撃度では最初の2枚のアルバムが1番すさまじいですけども、特に2枚目は両面の一曲目以外は聴けたものではない。
最も売れた4枚目はA面の最初の2曲「Black Dog」「Rock and Roll」が彼らのベスト5に確実に入る名曲ですが、大変有名な「Stairway to Heaven」は今聴くと、ダサい!
そんなもんはイーグルスがやればいいだろう!と言いたくなるのですね。
泣ける大曲だったら、デレク&ザ・ドミノウズの「Layla」やメタリカの「One」の方が男泣きではないですか。
というか、みなさんは、Zeppに男泣きを求めてるのですか?と。
私にとってのZeppは、あのジミー・ペイジのギターリフと何を叩いても「ドスドス」という音がするジョン・ボーナムによって繰り広げられる、あのロックンロールなのであります。
それにひきかえ、彼らのブルースはホントにヒドい。。

同時代のFreeやFleetwood Macの初期の演奏と比べたら、それは明々白々であって、彼らはブルース・ロックとしては三流だと思う。
かなり暴力的な曲であるDazed and Comfusedは、ジョン・ポール・ジョーンズのベイスリフがカッコいいので、コレは例外的に名曲。
ようするに、Zeppのアルバムはいろんな要素がごっちゃに入ってしまっていて、めちゃくちゃなのですね。
しかし、本作はそのめちゃくちゃがないだ。
冒頭の「アキレス最後の戦い」は、ギターリフが曲の後半にならないと出てこないのに名曲という、よく考えると、彼らとしてはかなり異色な曲ですが、もうボーナムのリードドラムに、珍しく歌い上げるロバート・プラントが絶妙で、とてもシンプルなペイジのバッキングが妙にカッコいい。
さすが、スタジオ・ミュージシャンとして、腕を鳴らした人であります。
いつもなら、ここから捨て曲が始まるんですが(笑)、本作はここからとてもシンプルなロックンロール曲が続いて終わるんですよ。
地味な曲で、ほとんど話題にも上がらないと思いますが、一切余計な事をしていないだけに彼らのロックンローラーとしての地力がハッキリとわかるんですね。
B面の「Candy Store Rock」、「Hots on for Nowhere」なんて、ライヴで取り上げられたことなんて一度もないでしょうけども、先ほどと同じことが言えるんですよ。
ようするにこのアルバム、とても一貫性があって、しかも、私の好きなロックンローラーとしてのZeppと「アキレス最後の戦い」というご馳走がついているんですよ。
そういう意味で、私は本作がZeppで最も完成度が高いアルバムだと思っているんですね。
しかし、このアルバムも、名盤とはまだ言い難いのです。
それは、B面の一曲目「俺の罪」の出だしのアレンジが少しアホっぽいのがズッコケるのと、B面最後にまたしてもやらかしている、ヘタクソなブルースがかなり減点となり、名盤とは言えないのですね。
とはいえ、完成度から言ったら、Zeppで最高です。
しかし、最高傑作。という言葉がどうしても出ないのは、最初の4枚目に入っているロック史に残る衝撃的な曲を差し置いて、コレが最高なんだ。というのは、いくらなんでもムリがありますよね。
よってこの文章は最初に書いた事に戻るわけです。
Led Zeppelinには名盤はないのだと。
彼らはものすごく変わった曲を驚異的なテクニックとスタジオワークを駆使して提供してくれるバンドであって、その本質はロックンローラーなのです。

 

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ヒプノシス制作のジャケットも秀逸。