mclean-chanceの「鯔背でカフェオーレ」

ジャズ以外の音楽について語るブログです。生暖かく見守ってください。

遺作にして最高傑作の1つ

David Bowie『★』(ISO)

 

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大胆なアートワークの遺作

 

2016年の1月に亡くなってすぐに発売されたボウイの遺作。

既に死期は悟っていたようで、プロデューサーのトニー・ヴィスコンティには、その事を告げて制作を進めていたそうです。

別に合わせた訳ではないのでしょうが、アルバム発売の直前に亡くなる。しかも遺したのは傑作。というのは、余りにも劇的すぎて、すぐに受け止めることができませんでした。

ロックを聴くようになって、1番聴きまくったミュージシャンの一人といってよかったボウイは、リアルタイムでは、正直、空回りと凡打ばかりを繰り返していて、もう引退した方が1970年代の偉大な業績に傷をつけずに済むのでは。。と思ってました。

そうこうするうちに、2000年代なはだんだんとジャズにのめりこんでしまってロック自体をほとんど聴かなくなり、ボウイも耳にする事がなくなりました。

しかし、2000年代に入って盟友トニー・ヴィスコンティと再び組み始めて作ったアルバムに復調の兆しがある事はなんとなく知ってはいたのですが、ジャズが面白かったのと、程なくして、ライヴで不調を感じていたら、どうやら心臓に深刻な疾患がある事がわかり、ライヴ活動をやめ、アルバムも出なくなりました。

 

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晩年になってもその眼光は衰える事がありませんでした。

 

ああ。ボウイは『Ziggy Stardust』や『Young Americans』、『Station to Station』『Heroes』を作った人で終わるんだなあ。残念(コレだけ傑作だ作れたらもう十分ですけど)と思ってました。

しかし、またしてもボウイは『Heroes』のジャケットの真ん中を入れて四角く切り取って「翌日」というタイトルをつけたアルバムを突然作り驚きました。

たしかにボウイの勘が戻り始めていたんですね。

この「翌日」に当たるのが本作というのは、余りにもできすぎています。

それにしても集まってきたのは、マリア・シュナイダー、ドニー・マキャスリン、ベン・モンダー、マーク・ジュリアナです。

 

現在のジャズの重要人物ばかりですね。

先行シングルを久々に出しまして、これがマリア・シュナイダーとの共作です。

シュナイダーは彼との共同作業はとても刺激的だったらしく、「もう、元に戻れない」とすら語ったそうです。

メンバーは、マリア・シュナイダーの人脈とマーク・ジュリアナと結びつきが強いメンバーが起用されました。

ボウイは1990年代にドラムンベースを使って新機軸を打ち出そうとしたんですが、正直微妙な出来で、私は心意気は買いますけども、失敗だったと思ってます。

自分がイメージしていたものと、出来が相当違ったのではないでしょうか。

そしたら、ドラムンベースを人力で叩き出すとんでもないドラマーの存在をボウイは知ったんですね。

コイツだろうと。コレが彼が求めていたドラマーだったんですね。

 

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現役最高峰のドラマーであろう、マーク・ジュリアナ。

 

ロック的なイディオムに一切縛られない、しかも、機械のように精密なテクニックを持つサウンドが欲しかったんでしょう。

多分、ここから考えたんですね。

で、トニー・ヴィスコンティのゴージャスなオーケストレーションの部分を更新するために、現在、最も先鋭的な大編成ジャズを追求しているマリア・シュナイダー・オーケストラのメンバーを起用したんでしょう。

このオーケストラのメンバーは、全員がソロで活動していけるほどの腕前を持っている凄腕集団でありますから、統率するはとても大変だと思いますが、シュナイダーの構想をよく理解し、彼女のサウンドを作るのに見事に貢献しています。

ボウイの構想をよく理解し、コレを具現化するだけの技量をもつ連中は彼ら彼女らしかいない。とボウイは読んだんですね。

実際、ジャズっぽさなど本作には微塵も感じず、ボウイの音楽を更新するために起用されていますね。

ボウイは何度も自身のイメージを変えてきていますが、その変えていくための準備はいつも用意周到で、実はとても慎重な人です。

本作も何もかもこれまで培っていたものを捨てて作ったわけではありません。

全体的なコンセプトは、自身の病気と向き合う死のイメージを強調するコンセプトアルバムにしており、それは、まさにあと5年で地球が滅亡するのを救おうとする、かつてのジギー・スターダストのやり方ですね。

自身の死をコンセプトにするアルバムというのも、相当なものですが、それをかけても良いほどに彼の気力は満ちていたのでしょう。

また、前述のように、プロデューサーは長年の盟友である、トニー・ヴィスコンティです。

ドニー・マキャスリン、ベン・モンダーは実に内向的で時に狂おしい演奏でボウイに応えています。

 

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恐るべき才能、ドニー・マキャスリン。

 

そして、ジュリアナを起用して、ボウイとシュナイダーが作曲しているという、本作で最も過激な挑戦である「Sue」は、かつてドラムンベースを使ってうまくできなかった事がとうとう実現できたとい 凄みが伝わってきます。

 

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ビックバンドを新しい次元に更新した、マリア・シュナイダー

 

しかし、全編過激にはせず、ボウイのギター弾き語りをいれたり、これまでのボウイから極端に逸脱したりはしないところが彼のバランス感覚ですね。

いずれにしても、今後、最高傑作の1つに挙げられてもおかしくはないアルバムを最期に遺す事ができたボウイの人生は長くはなかったかもしれませんが、幸福だったと言えるのではないでしょうか。

 

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亡くなる数日後の写真だそうです。RIP

何度も聴きたくなる。

細野晴臣『Vu Já Dé』(speedster records)

 

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中華街でライヴを行う、近年の細野晴臣

 

CD1枚に時間的には収まるんですが、敢えて2枚組にしたようです。

1枚目(約25分)は近年の細野晴臣のライヴでのレパートリーであるカヴァー曲が入っていて、2枚目(約28分)は、古いものは80年代の音源から、2017年までのかなり年代にばらつきのあるオリジナルですが、統一感があります。
細野自身がライナーノーツに書いているように、カヴァーとオリジナルが同居できないので、敢えてわけて作ったのだそうです。

無理やりくっつけずに分離したまま提示してしまうというも、なかなか勇気のいる行為です。

どちらも面白く、噛めば噛むほどに味の出てくる作品集(そんな古めかしい言い方が妙にしっくりきます)ですが、私が気になったのは、その録音の仕方です。

技術的な事はよくわかりませんが、かなりユニークな方法をとっていて、それが独特な奥行きとフィクション感を高めます。

ある楽器の音はワザとこもったような音にしたり、別な楽器はクリアに録って背後に聞こえるようにしたりと、「虚構のリアリティ」にものすごくこだわっています。

もともと彼は、南国への憧れとか妄想が音楽を作っていく原動力の1つになっているように思いますので、その妄想力が音作りにも注がれているのでしょうね。

彼はよく自身のラジオ番組で、「最近の録音はなんであんなに音圧が高いの?耳を刺激しすぎたよね」という趣旨の事をしばしば言ってますが(と同時にモノラル録音におけるものすごい工夫に感心しています)、そういう昨今の高血圧としか言いようのないゴリゴリのサウンド(特にアメリカの録音がものすごい気がしますが)へのアンチテーゼを提示しているものと思います。

刺激を与えるのではなく、まるで耳をマッサージするように作られた演奏は、同時に、ユニークな音の操作を行って、不思議な奥行き感を作りだし(この工夫は、ヘッドフォンで聴くとわからないようにしてますね。ワザとだと思います)、聴き手をいい塩梅にトリップさせます。

細野晴臣は若い頃からものすごく老成した人だと思いますが、ようやく外観と内面が一致してきているといいますか、やっている音楽と外観がやっと一致してきたのが、『HoSoNoVa』、『Heavrnly Music』、そして、本作に言えます。

昨今のCDの売り上げを考えると、本作のシッカリとしたアルバムの作りに、作品を世に残していきたい細野の意志を感じます。

全曲素晴らしいですけど、1枚目で気に入ったのは、アルマンド・トロヴァヨーリ作「El Negro Zumbon(Anna)」、2枚目は「洲崎パラダイス」(川島雄三の名作『洲崎パラダイス・赤信号』からインスパイアされたようです)、「Neko Boogie」、「2355氏、帰る」です。

 

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アルバムごとに作風がドンドン変わっていくバンドでした。

Traffic『Mr. Fantasy』

 

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サイケなジャケットが時代を感じさせていいですねえ。

 

これは忘れられないアルバムでして、「黒さ」とか「ファンキー」というものの面白さが初めてわかった作品でしたね。

とにかく、スティーヴ・ウィンウッドという人の才能にしびれました。

「No Face, No Name and No Number」、「Dear Mr. Fantasy」は傑作だと思います。

彼の黒人と聴き間違えてしまうほどにソウルフルなヴォーカル、そして、ファンキーなオルガン演奏(彼の演奏によってオルガンが好きになりました)と、類まれな作曲能力。

この余りの才気に、最も割りを食ってしまったのがデイヴ・メイスンでしょうが、この2人はまさに両雄並び立たずでありまして、メイスンが脱退してしまうのは、やむを得なかったのでしょう。

メイスンがイニシアチブを取ると、途端に正統英国ロック調になってきて、ウィンウッドと音楽性が明らかに違うんですよね。

その後のトラフィックは、完全にウィンウッドの音楽を表現するためのバンドに変貌し、彼の音楽を求めるがままにメンバーが自在に変わっていき、アルバムも一枚ごとにどんどん変わっていくという、驚異的なバンドになっていくわけなんですけども、私はこのアルバムの垢抜けない感じと黒人音楽ドップリ(ほんの少しサイケ)なところが大好きで、結局、コレが一番よいと思ってます。

ウィンウッドはホントに天才なので、トラフィックのアルバムはほとんどすべて聴くに値しますが、私の愛聴盤はなんといってもコレになりますね。

コレがなかったら、黒人音楽にハマる事はなかったかもしれません。

ラストのインスト曲「Giving to You」におけるウィンウッドのスキャットとオルガン演奏も必聴です。

日本では、トラフィック/ウィンウッドって、どうも人気が今ひとつですけども(作風がコロコロ変わるトラフィックがとらえどころがなかったからかもしれません)、それこそ、60年代の英国ロック好きな人で、コレが嫌いになる人はちょっと考えにくいです。

ウィンウッドとメイスンの持ち味の違いがなぜかマイナスどころかプラスになった不思議な名盤です。

 

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コレが大ヒットした事が今日にそのまま繋がっている気がする。

RADIOHEAD『OK COMPUTER』

 

1990年代のロックを代表する一枚にして、レディオヘッドの名を世界的に広めた作品。

全体を覆う、どうしようもない陰鬱さと閉塞感がすさまじい。

それは現在聴いてもヒシヒシと感じるのだから、相当なものです。

どの曲もものすごいスタジオワークの所産で、やはり、デジタル機材を使うとこんな複雑な音響があっという間に処理できてしまうんだあ。と。

かつては、こういう作業はテープをつなぎ合わせて編集したんだと思いますが、そういう作業が、もうパソコン上でできてしまうという。

多分、膨大に録音して、エンジニアやプロデューサーとああでもないこうでもないとやりながら編集して作った音なのでしょう。

彼らを代表する名曲「パラノイド・アンドロイド」で、あえてギターの音を異様なほど前に出して、コレを猛烈に歪めたり、引っ込めたりというのは、テープでもできますが、ここまで滑らかにできてしまうすごさですよね(当然、逆もできるわけです)。

そういうテクノロジーの発達がすごいんではなくて、バンドのメンバーの表現と見事に結びついているのが素晴らしいんですね。

決して万人向けとは思えない、シリアスで悲痛な音楽だと思いますが、コレが当時大変ウケて、しかも、RADIOHEADは未だに現役でトップクラスであるというのは、やはり、彼らが単に暗い曲を作っているバンドなのではなくて、社会を覆っている閉塞感や怒りを自分たちの表現に結び付けているからなのでしょう。

コレ以降もレディオヘッドの音楽性は変化してくのですが、ココで展開する胸を締め付けるような悲痛さは、終始変わっていない気がします。

この陰鬱が何かそのまんま解消されずに、昨今世界を覆っている無差別テロ(もはや、テロとすら呼べない、単なる無差別殺人も見られます)やISの出現、アメリカ合衆国初の「大王」の誕生という形で噴出してるような気がするのは、私だけでしょうか。

 

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今聴いても新鮮!

細野晴臣泰安洋行

 

 

いわゆる「トロピカル3部作」の2作目ですが、コレは、ニューオリンズ、沖縄が強い作品です。


70年代のウェストコーストのロックに後追いどころか、ほぼ同時進行しているのが、驚異的ですね。

聴いたことがない人に、「アメリカで、こういう変わったロックのアルバムが1970年代にあったんだよ」と言って聞かせても、バレないでしょう。

それくらいのクオリティですね。

ここでのニューオリンズや沖縄のリズムの解析をコンピュータを使ってより精緻に行ったのがYMOですから、細野にとっては、ここで行っている事とYMOには、それほど飛躍はないのだと思います。

言い方は、おかしいですけども、「人力YMO」と言いますか、今聴くとそういう風に聞こえなくもない(YMOの初期のライヴは、渡辺香津美などのサポートミュージシャンが入っていたので、思いのほか人力バンド、というか、フュージョンなのですが)。

それにしても、このアルバムには参加しているミュージシャンの腕前には、細野を含めて心底驚きますね。

ただ、これを当時の音楽ファンのリテラシーを考えると、誰もが絶賛したとは思えないですね。

Dr.ジョンやリオン・ラスル、ライ・クーダーが当時のロックファンに多く聴かれていたとは思えませんし、かなり先進的な一部のファンのみを熱狂させたのではないでしょうか。

彼の独特の楽園志向は、やがて、横尾忠則とのインド旅行(かなり体調を崩してひどい目にあったようてすね)、あるいは、中沢新一との共著『観光』(残念ながら、現在は絶版です)にも結実していくのですが、とにかく、今聴いても驚きの連続であり、しかも、現在まで彼の活動が如何に一貫性があるのかという事にも驚いてしまいます。

恐るべき傑作であります。

 

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 現在はちくま文庫版も絶版です。

 

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呪術師が歌うR&R、R&Bが素晴らしい。

T. REX『Electric Warrior』

 

英国ロックで、ジミヘンと並ぶ、太く短く生き切った、マーク・ボラン率いるT. REXの全盛期のアルバム。

声量も乏しいし、ギターがうまいとは言えないボランが、一時期はデイヴィット・ボウイすらしのいでいたのではないか?という勢いを持っていたのは何だったのかと改めて考えてみると、ボランの黒人音楽の持つ呪術性への理解が卓越していたからに他ならないでしょう。

アフリカの部族社会では、未だに呪術というものが有効で、音楽で病気を治療するという事が行われているようですが(1980年代でも九州ではそういう民間治療がいたようです!)、ボランの素晴らしさは、その卓越したリズム感と、それをものすごく強調した作曲(ワザとドラムとパーカッションの音を大きくミックスしてますね)そして、そこに乗っている、幻惑的というか、多分にボランのドラック体験に基づく詩の世界が組み合わされた、まさに呪術的としかいいようのない世界ですよね。

そこに、あのささやくような呟くような、細かいヴィヴラートのかかったヴォーカルを絶妙に乗せていく事で、独特の陶酔感と高揚感が入り混じったような感覚が生まれます。

コレは、T.REX独自の感覚です。

このプラスティックでできたようなロックンロールは、プリンスにも相当影響を与えたのではないでしょうか。

そして、本作を名作にしているのは、なんといってもプロデューサーのトニー・ヴィスコンティのきらびやかな演出(キラキラとしたストリングス、エコーをかけまくった手拍子、チープなホーンセクション)が、更にT.REXの「紛い物感」を見事なまでに増幅させ、独自のモヤモヤとした呪術性を浮かび上がられております。

次回作『The Slider』とともに永遠に語り継がれていくであろう大名作。

 

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男泣き!

The Band

     『Music from Big Pink』

 

 

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19世紀末のアメリカからやってきたのではないかという風貌(リーヴォンを除くメンバーは全員カナダ人ですが)

 

ロック史に燦然と輝く名盤。

あのエリック・クラプトンがクリームでの活動に嫌気がさしていた時にこのアルバムを聴き、今後の自分の方向性が定まったほどの影響を与えました。

それが、あのデレク&ザ・ドミノウズの結成に結実していきます。

また、ジョージュ・ハリスンはこのアルバムを大量に購入して、「このアルバムはすごいから聴け!」と言って知り合いに配りまくっていたそうです。

彼もソロに転向してからの作風は、やはり、アメリカ南部の音楽への志向を露骨に出していました。

こんな渋いアルバムが1968年にひっそりと発売され、そこそこの売り上げがあったというのは、ある意味すごい事です。

なんと、全米最高30位です。

たしかに、The Bandは、ライヴの時のボブ・ディランのバックバンドだったわけですから、それなりの知名度はあったわけですけども、彼らの仕事は裏方ですから、ホントに地味な存在であったはずです。

その辺の社会的な背景は不勉強は私にはわかりません。

日本でも、細野晴臣などの先鋭的なミュージシャンが早くからこのアルバムの凄さを察知していて、高く評価していたようですね。

ボブ・ディラン作曲も含めたどの曲も見事とというほかなく(しかも、ディランのバージョンのクオリティを軽く超えていますね)、かいつまんで聴くよりは、アルバム全部を聴き通すような聴き方が向いている作品だと思います。

 

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タイトルの由来となった「ビックピンク」。ただし、アルバムの録音はここで行われたわけではないです。

 

R&B、ソウル、ゴスペル、フォーク、カントリーという要素を実に渋くミックスしていく感覚は、およそ新人離れいて、このデビュー作で完成の域に達してしまっています。

タメの効いたリーヴォン・ヘルムのドラム、オルガンを自在に操るガース・ハドソン、決して前に出ることのない、さりげなさが魅力のロビー・ロバートソンのギター、リーヴォンとともにリズムを強力に支えるリック・ダンコウのベイスが見事なまでに噛み合っています。

メンバーはまだかなり若く(ロビー・ロバートソンとリチャード・マニュエルはまだ25歳ですよ!)、この年齢とやっている音楽のギャップがものすごいものがあります。

ヴォーカルもとても20代とは思えないですよ。

ものすごく音楽的に老成していたんですね。

どの曲も素晴らしすぎて評価不能ですけども、私の愛するリチャード・マニュエルの不安定なファルセットで歌われるラストの「I Shall be Reliesed」は感涙もの!

リチャード・マニュエルのヴォーカルなくして、ザ・バンドはありえないのです。

私は本作でブラックミュージックの底知れない凄さを知りました。

これを聴かずにロックを語ることなど許されないほどの大傑作です。 

 

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 ディランは絵の才能はないよね。。