やはり、書かざるを得なかった。
David Bowie『"Heroes"』
『Young American』が1975年の作品で、本作が1977年。
わずか2年でここまでミュージジャンとして変貌してしまうのか。と驚愕しますね。
イギリスのロックの名盤の誉れ高い作品であり、私もコレをもってボウイの最高傑作としてよいと思います。
大名曲「“ヒーローズ”」が収録されているだけでも、本作の価値は最早、不動。
LPだと、A面が歌モノ、B面がインストゥルメンタルである事がわかりやすいのですが、CDだと連続してかかるので、ボウイの意図がわかりにくくなっている気がします。
iPhoneなどで取り込んで聴く場合は、1〜5曲目、6〜10曲目という2つのプレイリストを作って、別々に聴いた方がいいかもしれません。
私、コレを初めて聴いた時は、「なんだよ、ボウイの歌が入ってる曲が半分しかねえのかよ!」とガックリきてましたが、もはや、歌わなくてもデイヴィッド・ボウイの音楽。という境地に達していた事がわかります。
個人的には、「Neuköln」のボウイのアラビア風のサックスが好きです。
この歴史的な経緯はもう散々語られているであろうし、そういう事はネットにいくらでも書いてあると思いますので、そちらを参考にしていただいて(笑)、ココでは、前回紹介した『Young Americans』と比較しながら語っていきたいと思います。
「異邦人」としてアメリカに乗り込み、斜めからアメリカを観察し、いささかつっぱった態度で作られた『Young Americans』は、片脚をフォークに突っ込んだ状態でしたが(そこは、ボウイの慎重さです)、わずか2年後にはもうそれに飽きていて、こんなヒンヤリとした手触りの作品を前作の『Low』ととともに作っているというというのに驚いてしまいますね。
アメリカ時代に、ヨーロッパ人として、アーティストとしてのボウイに火がついたのでしょう。
ヴォーカルも、アメリカ時代に完成させたニセソウルを基本に、もっとクールな手触りにまたしてもボウイは変貌させていきますね。
普通、ヴォーカリストというのは、自分のヴォイスをいじするために努力するものだと思うのですが、明らかにそういう意識がこの人にはないですね。
なので、後半のほとんどをインストゥルメンタルにする事も平気なんですよね。 なんで、最後がアラビアなんですか?ボウイ様・笑)。
こういうところは、細野晴臣とも似てる気がします。
あと、何と言っても、このアルバムを特別にしているのは、ブライアン・イーノの参加ですよね。
BBCでのボウイの追悼特集で、プロデューサーのトニー・ヴィスコンティが"Heroes"をどうやって作ったのかをスタジオでトラックを聴かせがら説明するという、たまらない番組が放映されていたのですが(多分、インターネットで視聴可能かと思います)、イーノが音を入れる前の演奏は、ほとんど『Station to Station』とかわらないんです。
そこにイーノのシンセサイザーを被せると、本作全体に漂っている、あの独特の霧がかかったようなサウンドに一挙に変貌するんですね。
イーノの本作における功績は、計り知れないモノがあります。
ロバート・フリップのギターも、番組を見ると、最初はノイズみたいな演奏を弾いてもらい、コレをスタジオであのギターに変貌されていく過程が番組で明らかにされるのですが、コレも面白かったです。
これほどの作品を作ってしまったボウイは、『戦場のメリークリスマス』でも映画スターとして名声も獲得し、残されたのは、「踊ろうよ!」くらいしかなかったのは、致し方なかったのではないかと思います。