今回は少し真面目に考えてみました。
アルトサックスを考える。
ジャズにおいて、サックスが花形になるのは、実はちょっと遅いのです。
サックスよりも、クラリネットの方がソロイストとしては目立っていたかもしれませんね。
おいおい、ジョニー・ホッジスがいるじゃないか!という意見もありますが、1920年代のエリントン・オーケストラのスターも、ババー・マイリーという、夭折のトランペッターでありました。
それが変わるのが、何といっても、天才テナー奏者のレスター・ヤングの登場でしょう。
モダン・ジャズのサックス奏者には、テナー、アルトに関わらず、レスターの影響がかなりありますね。
それくらい彼の登場は衝撃的でした。
他にもチュー・ベリー、コールマン・ホーキンスもこの時代のスターとなりました。
さて。
こうして考えると、アルトサックスで突然とんでもない事をやり始めた、チャーリー・パーカーがいかに異様であったか。ということですね。
相変わらず、スイングのビッグバンドが基本の時代に、小編成で、鉄火場のようなソロを繰り広げていて、それでいてものすごくロジカルで。
レスターにやられてサックスを始めたジャズメン達が一気にパーカーに持っていかれました。
これ以降、しばらく、ジャズは、パーカーの方法論をトランペット、ピアノ、ベイス、ドラムスに翻訳していく事、その奏法の確立が最重要課題であり、その消化と発展がビバップ〜ハード・バップなワケですね。
ものすごく被分析性が高く、ルールとして共有でき、しかも、最高の解答を出しているのがチャーリー・パーカー本人という、普通の歴史であったら、100年単位で起きている事が、10年くらいの短さで進行しているんですね。
しかし、1950年代の後半に、またしても天才が2人出てきました。
1人はエリック・ドルフィーであり、もう1人がオーネット・コウルマンです。
前者は完全にパーカーのビバップを咀嚼仕切った上で、更なる跳躍を成し遂げてしまった、とんでもない天才であります。
余りの天才ぶりとその短い活動期間のせいで、ジャズ全体への影響はほぼないに等しいですが、未だにその発想のメカニズムが不明な作曲とアドリブ(あの、ハービー・ハンコックもめちゃくちゃやっていると思っていた事を自伝で書いています)は、ジャズの最後に残された秘密であると言われます。
後者は徹底した無教養主義といいますか、全くバップができません。そういう録音は一切残っていません。
しかし、彼が最初に立ち上げたカルテットのホーンが、アルトとドン・チェリーのポケット・トランペットであったのは、明らかにパーカーとディジー・ギレスピーを意識しており、自分が、バップを更に発展させていくという意気込みで演奏していたのは、間違いないでしょう。
しかし、出てくる音は、およそバップとは言いがたく、要するに闇雲に前に進んでいるだけ。というトンデモな有り様であり(それでいて、ビックリするほどメロディ感覚に優れていて、ポップですらあります)、ビバップと真逆な被分析性に欠けるあり方で、オーネットは亡くなるまで延々と演奏を続けていました。
また、ビバップとはまた違ったあり方を追求し、即興演奏を極めたのが、リー・コニッツですが、その余りにストイックなあり方は、孤高であり、現在も彼は現役ですが、彼の影響をジャズシーンに見てとるのは難しいですね。
余りに突出した才能を持っているスティーヴ・コウルマンは、近年のジャズの動きの中で、再評価が高まってきており、本人も旺盛に活躍しているので、コレも見逃せませんね。
ドルフィーやオーネット、コニッツの有り様はどれも突出していて、少なくともアルト・サックスとしては継承されておらず、コニッツは元々がジャズの少数派のグループに所属していたので、その影響は大きくなっていません。
かわりに影響が大きかったのは、テナー/ソプラノ・サックス奏者であった、ジョン・コルトレインです。
乱暴に言ってしまえば、これ以降のサックス奏者は、ほぼ、ジョン・コルトレインの方法論を基本にしていると言ってよく、それが良くも悪くも「ジャズの歴史」となっていきました。
コルトレインは天才ではなく、ものすごい努力家で、その事が彼の寿命を削り取ったと思いますが、であるがゆえに、その演奏は激越な晩年に至るまで分析可能なほど明晰です。
一見、フリージャズのようにグシャグシャとなっていますが、音列はしっかりとあり、リズムもありますね。
ただ、余りに速すぎるのと、音を敷きつめているので、パッと聴くとフリージャズにしか聴こえなくなってしまうのですが。
この様に、余りにも強烈な天才が短期間に集中的に現れ、短命であったり、孤高であったり、独自すぎてマネするとトンデモ扱いされかねなかったりなどによって、ジャズの発展はそこで止まってしまったのが、大変残念な事なんですね。