『ブルース・ブラザーズ』の重要な役者が相次いで亡くなるとは。。
Memphis Slim『Memphis Slim USA』
メンフィス・スリムは生涯に莫大なレコードを作りましたけども、その中でも特筆すべきアルバムは、やはり、マット・マーフィーと組んだ1950年代にユナイテッドに録音されたものであることは衆目の一致するところでしょう。
マット・マーフィー。と聴いても、ピンとこない方もいるかもしれませんが、ジョン・ランディス『ブルース・ブラザース』で、ブルース・ブラザーズにバンドに誘われて、アリーサ・フランクリンにどやされているダイナーの主人は記憶にある人も多いのではないでしょうか。
実は、あの主人が、マット・マーフィーなんですね。
この人がマット・マーフィーです。
2018年に惜しくも亡くなりましたが、なんと、同じ年に、奥さん役であったアリーサも亡くなってしまうというのは不思議ですね。
そのマット・マーフィーのギターのすごさを知るには、本作は必須のアルバムです。
本作は1954年という、日本で言えば、『七人の侍』や『ゴジラ』が大ヒットしていたという年ですが、そんな大昔にブルースの世界で、こんな艶やかでセンス満点なギターを弾いていた人がいたというのは、驚異的です。
若い頃のマット・マーフィー。
控えめな性格なのか、リーダー作が1990年までない人なのですが、メンフィス・スリム以外にも、ジェイムズ・コトンのバンドメンバーでもあり、ブルース界最強のサイドメンとして、マット・マフィーは活躍するのですが、本作をお聴きになってわかるように、メンフィス・スリムを完全に食ってしまっていいます。
どうしても、耳がマット・マーフィーのギター吸い寄せられてしまいます。
湯水のごとく、歌うようなフレーズが次から次へと湧き上がるマーフィーのギターを聴き惚れながら、偉大なる故人を偲ぶこととしましょうか。
アリーサ・フランクリン追悼
King Curtis『Live at Fillmore West』
Aretha Franklin『Live at Fillmore West』
キング・カーティスはこのライヴと同じ年の8月に自宅前で殺害されてしまうんです。。
1971年の3月5日から7日に、サンフランシスコの「フィルモア・ウェスト」で行われたライブからベストテイクを選び出した、伝説的なアルバム。
キング・カーティスが前座で、アリーサ・フランクリンが本番という形でライヴは行われたのですが、そのいずれもが桁外れの出来栄えであり、両方聴く事で、初めて当時の興奮を追体験できますね。
2005年にCD4枚組でRhino Handmadeから三日間のライヴの全ての曲を収録した完全版が出ましたが、初めて聴く方は、迷う事なくアルバムから聴く事をオススメします。
というのも、このライヴ盤、曲順がバツグンに素晴らしく、しかも、ベストテイクがキチンと収録されているからなんですね。
キング・カーティスは「Memphis Soul Stew」に始まり、「Soul Serenade」に終わる必然性があるんですね。
というのも、実際のライヴでは、「Memphis Soul Stew」はメンバー紹介のために最後に演奏されていて、実際聴くと、相当違和感があります。
つまり、この曲順で聴いた方が絶対にカッコいい事を、プロデューサーであるアリフ・マーディンは、カーティスとともに確信して作っているんですね。
完全版は、それを知った上でのドキュメントととして聴くと意味があるわけですね。
名盤ライヴと呼ばれるアルバムは、こういう事がチキンと出来ている作品である事がほとんどですので、ワザワザこれを崩したものから聴く必要はありません。
さて。
アリーサはまさに全盛期と言ってよい時期であり、前座(と呼ぶには余りにも豪華すぎるメンバーですけども)のキング・カーティスのバンドがそのまんまアリーサのバックバンドとして演奏するという、ホットさがそのまんま持続したままオーティス・レディング「Respect」になだれ込んで行く様子は、もう興奮せざるを得ないですね。
ビリー・プレストン、コーネル・デュプリー、トルーマン・トーマス、ジェリー・ジェモット、バーナード・パーディ、パンチョ・モラーレスを中心とした、当時求めうる最高峰の黒人音楽のリズムセクションにキング・カーティスを中心としたホーン・セクションがつき、これによる前座が行われ、そこにアリーサと3人の女性コーラスが加わっての本編というのは破格の凄さであり、それだけアリーサがレーベルのアトランティックから期待されていたということですね。
最後には御大レイ・チャールズまでゲスト参加するという鼻血モノ。
普通、前座の演奏がアルバムとして発売されるという事自体、聞いたことがありませんし、しかも名盤というのは、前代未聞です。
演奏内容にはほとんど立ち入りませんが、それは各人が実際に聴いてお確かめ下さい。
黒人音楽史上に輝く金字塔です。
RIP Aretha...
ジャコとの一連の共作は、ホントに見事としか言いようがありません。
Joni Mitchell『Don Juan’s Reckless Daughter 』
若き日のジョーニ。
ジョー二・ミチュルの長いキャリアの中で最も素晴らしかったのは、やはり、ジャコ・パストーリアスを中心とした、ウェザーリポートのメンバーやなどのジャズやフュージョンのミュージシャンを積極的に登用していた1970年代後半だったと思います。
特に、ジャコは、その短い人生の中で、最も素晴らしい仕事を成し遂げたのではないでしょうか。
個人的には、ウェザーリポートでの仕事よりも更に高く評価すべきであると思いますし、ジョー二の最高の音楽に於けるパートナーは、ジャコだったと思ってます(ウェザーはあくまでもジョー・ザヴィヌルのバンドなのであって、彼の構想の中でジャコは演奏しているように思います)。
ジャコを褒める事はそのままジョー二の音楽を褒める事になるし、ジョー二を褒める事はジャコの素晴らしさを讃える事になり、どこまでがジョー二で、どこからがジャコの魅力なのかわからないほどに両者の音楽が密接に結びついていますね。
在りし日のジャコ。彼の加入でウェザーリポートのライヴの客層が明らかに変わったそうです。
この頃から、ジョー二のアルバムは一切ヒットチャートの上位に食い込む事はなくなり、シングルヒットは全くなくなります。
しかし、それはアルバムを聴くとよくわかりまして、シングルカットする事などできないほど、アルバムが有機的にできていて、しかもアルバムはLP二枚組にわたる約50分にわたる大作が多くなりまして、それは、本作も同様です。
B面など、一曲16分もある大作で、オーケストラをバックにジョー二がピアノの弾き語りをするという(途中からウェイン・ショーターとジャコが演奏に入ってきます)壮大なもので、とてもラジオにかける事など不可能なのですね。
それでも、レコード会社がジョー二との契約をやめる事はなかったのは、彼女の実力がそれだけ並外れていたからですが、彼女のやりたい事を許していたレコード会社も大変寛容だったですよね。
という事で、本作はアルバムを通して聴くことで彼女の言いたい事がわかってくるという作り方になっており、ジックリ聴く事が求められる作品です。
ネット配信で音楽を聴く時代には明らかに逆行したあり方ですが、別に彼女の音楽は難解なものではなく、アメリカの中西部に広がる巨大な平原を上空をプロペラ機で飛んでいるような、独特の飛翔感があり、それを見事に表現しているのが、あの「コーン!」と高く響くジャコのフレットレスベイスなのですね。
ロックでもなく、単なるフュージョンをバックに歌っているフォークシンガーでもなく、全く独自の立ち位置を持っていた、ミュージシャンであり、それは今聴いてもとても新鮮である事に驚きます。
個人的にはC面の、マノロ・バドレーナやアレハンドロ・アクーニャ、チャカ・カーンが参加しているキューバやブラジルのリズム(ジャコもパーカッションで参加してます)が入った演奏がとても気に入っています。
一時期、危篤状態に陥り、生命の危険にさらされたようですが、一命を取り留め、静かな療養生活を送っているようです。
鍛え上げられた鉄の如きベートーヴェン!
ベートーヴェン『交響曲第7番』
アルトゥーロ・トスカニーニ/ニューヨーク・フィル
リハーサルは怒号の連続だったそうです。
トスカニーニといえば、かつては神のごとく崇拝された指揮者でしたが、私はNBC響の録音のあのデッドな響きがとてもキライで、しかも、CDで聴くと戦前の彼の録音は、相当マスタリングがまずく、正直、閉口せざるを得ない録音も少なくなかったです。
要するに、到底、その凄さを体験するのが、とても困難でした。
それでも、1941年のカーネギーホールでの、ホロヴィッツとのチャまイコフスキーのピアノ協奏曲第1番での、ぶつかり合いのような凄絶な演奏や、レスピーギの「ローマ三部作」は、録音の良さもあり、彼の鋼のように鍛え上げられた、鉄壁のオーケストラの凄さを知る事が出来たんです。
しかし、「オーパス蔵」という、状態のよいSP盤から、丁寧にCDを作るというレーベルが、戦前のクラシックの名演を、驚くほど鮮明な音で復刻したお陰で、トスカニーニの、とりわけ、ニューヨーク・フィル時代の猛烈な演奏がとてもクリアな音で聴けるに至り、トスカニーニを凄さが更にわかるようになりました。
本作は、ニューヨーク・フィルの常任指揮者を辞任し、引退を考えていたトスカニーニが、その記念に残したと言われる録音でして、フルトヴェングラーと人気を二分していたという(トスカニーニは、フルトヴェングラーのアメリカ公演ができないように妨害工作をしていたそうです)、その実力が遺憾なく記録された素晴らしい演奏です。
一般にトスカニーニの指揮はとても直線で情緒に流されず、曖昧なら所が皆無な演奏であると言われますが、それは概ね間違ってはいないのですけども、第1楽章の非常にゆっくりとしたテンポがいつも間にかかなり速くなっていたりと、インテンポに演奏しているわけではなくて、劇的にテンポが変わる事に気付かないように周到にオケをコントロールしているのがわかります。
結果として、それがとても一直線に聞こえる様にしているわけですね。
フルトヴェングラーの演奏だと、もっとそこが劇的に演出されて、圧倒的にドラマチックです。
生涯、ベートーヴェンを得意とした、フルトヴェングラー。ナチス協力という、謂れなき嫌疑もかけられました。
また、いざとなった時のオケの爆発の爆発の凄さは、尋常ではなく、録音技術の問題で音がかなり割れ気味ですけども、その凄まじさは、聴いていて心底驚きます。
どうやったらこんな風にオケが鳴るのでしょうかね(笑)。
ライナーやセルといった、ものすごくオケを隅々までコントロールする指揮者とも明らかに違う、独特の指揮者ですね。
個人的にはフルトヴェングラーの演奏を好みますが、ここまで圧倒的なモノを見せつけられると、認めざるを得ないですね。
往年のヴィルトオーゾが如何に凄かったのか!
ベートーヴェン『ヴァイオリン協奏曲』、
ヤッシャ・ハイフェッツ、
トスカニーニ/NBC響
斬れぬものなど何1つないような響きをたたえる、恐るべきヴァイオリン!
ハイフェッツの演奏が素晴らしかったので、1940年のトスカニーニ/NBC響との録音も聴いてみたくなり、早速。
かなり若い頃にテクニック面では完成の域に達していましたので、基本的なところは変わりません。
が、ハイフェッツのヴァイオリンの凄味はコッチの方が上です。
とりわけ、第2楽章。
とかく、超絶技巧に耳が行きがちにもなりますが、ハイフェッツの真骨頂は、こういう緩余楽章にこそあるのではないでしょうか。
さりげないポルタメント、感じやすいピアニシモはそのまま演奏が消えてなくなりそうな儚さがあるのですが、決して甘くなることはありません。
心で泣いて、表面はクールを装う美学が溢れております。
単なる技巧派というものを遥かに超越したとてつもない演奏家である事がわかり、録音の古さも気にならなくなります。
トスカニーニはここでは伴奏者としてあくまでもハイフェッツを立てておりますが、それにしても、8Hスタジオのデッドな響きはいささか閉口しますね。。
驚異的な統率力でニューヨーク・フィル、NBC響を鋼鉄のような響きにまで鍛え上げたトスカニーニ。かつてはよくフルトヴェングラーと比較される事が多かったです。
昔出ていたCDでのトスカニーニのNBC響の8Hスタジオの録音のスルメのように乾ききった響きは、到底彼の真価を伝えるものではありませんでした。
しかし、「オーパス蔵」という、状態のよい、SP盤を丁寧にCDに変換する事を得意とするレーベルが出したバージョンは、ハイフェッツの生々しい演奏が見事に蘇っていて、大変オススメです。
このCDはカップリングに1936年に録音された、トスカニーニ/ニューヨーク・フィルによる、ベートーヴェン交響曲第7番という、猛烈な名演が入っているのもお得です。
大変な名盤なのですが、ずっと廃盤です。残念。
Orleans『Orleans』(ABC DUNHILL RECORDS)
初期のメンバー。左から、ランス・ポペン(b,vo)、ウェルズ・ケリー(drms, vo)、ジョン・ホール(g, p, org, drms, vo)、ラリー・ポペン(g, p, org, vo)。
オーリアンズ。と言っても、もうほとんどの方にとっては「そんなバンドあったの?」というくらいの存在になってしまっている気がしますけども、1973年に発売されたデビュー作は、すでにこのバンドがやりたい事が完成されていて、今聴いても大変な名作アルバムだと思います。
この初期の活動はアメリカの一部ではかなりの評価を得たようなのですが、全国的な人気を博するところまでは行かず、ヒットチャートの上位に乗る事はありませんでした。
しかし、ポップ路線に変更した途端にかなりのヒットとなってしまった事で、バンドのリーダーである、ジョン・ホールが脱退してしまいます。
本作は、ジョン・ホールの本来の持ち味というか、このバンドの持ち味が遺憾なく発揮された作品で、初期のスティーリー・ダンやCSN&Y辺りが好みの人には絶対に納得の一枚だと思います。
どこか土臭さのあるジョン・ホールとラリー・ポペンのギターの絶妙な鳴きを入った絡みは、どこか西海岸のロックを思わせますが、実はウッドストックを拠点としたバンドで、たしかにコーラスワークがCSNYとよく似てます。
一部、演奏にも参加している、プロデューサーのバリー・ベケットとロジャー・ホーキンスはマスル・ショールズの凄腕ミュージシャンであり、オーリアンズがかなり期待されていた事がここからもわかります。
全体を通してのファンキーなセンスも見事ですね。
ジョン・ホールとジョアンナ・ホールのソングライティングチームの力は相当なもので、「if」は名曲と言ってよいと思います。
内容は抜群によいので、もっと売れていれば、この路線でやっていけたかもしれませんね。
ちなみに、ジョン・ホールは後に下院議員を務める事になりました。
今聴いても驚異的!
ベートーヴェン『ヴァイオリン協奏曲』 ヤッシャ・ハイフェッツ、シャルル・ミュンシュ/ボストン交響楽団
10代の頃にはもう天才と言われていました。
ハイフェッツは、ロマノフ朝の滅亡とともにアメリカに亡命し、活躍した。という、20世紀の音楽家の多くがそうならざるを得ず、結果としてアメリカは世界で最も豊潤な音楽を生み出した国の1つとなりましたが、彼はそういう典型でした。
しかし、その演奏は恐るべきものであり、普通の意味の超絶技巧というものを遥かに超越した存在であり、未だに彼を超える人はないのではないでしょうか。
ベートーヴェンが唯一残したヴァイオリン協奏曲を、これほどまでにスイスイと速いテンポで流すように弾きこなし、ベートーヴェンの持つ情念というものを一切削ぎ落としてしまうというあり方は、今聴いてもかなり仰天もの。
それでいて、無内容で無味乾燥ではなく、内実はものすごいものがあるが、それがあんまり情緒的なものとほとんど結びつかないので、とても無愛想で冷酷に聞こえてしまうのですね。
しかし、よくよくフレーズを聴いていると、結構ポルタメントを多用しているし、細かくヴィヴラートがかかっていて、ニュアンスに非常に富んでいますね。
表面上はクールを装った人間離れしたテクニックなのですが、実際はものすごいエモーションを内に秘めているのでしょうね。
この曲は、ベートーヴェンでも屈指の、歌心だけで作曲してしまったような曲なので、タップリ歌った方がいいと思うのですが、そういう事は、ハイフェッツは一切しません。
そういう意味ではベートーヴェンの世界というよりもハイフェッツの世界が前面に展開するのですけども、それもここまで徹底的にやられると認めざるを得ないでしょうね。
また、何風とも言えないヴァイオリンは、安易な情緒に寄り添うような事を良しとしない、彼なりのダンディズムの貫き方なのでしょう。
猛烈なテクニックを持ったピアニストであったホロヴィッツの、自由奔放な感性の赴くままに弾きまくる痛快さとは真逆の世界を生涯追及した人ですね。
そう言えば、ホロヴィッツも亡命ユダヤ系ロシアでアメリカで活躍した人でした。
テクニックは旺盛にあるけども、ここまでの境地に達した人はほとんど皆無であり、真の超絶技巧者というのは、クラシックに於いては、ハイフェッツを言うのでしょう。
1955年の録音ですが、RCAという当時のアメリカでは屈指の録音技術を持つレコード会社の録音ですので、驚くほどいい音で聴くことができます。