いきなりシベリウスです(笑)。
シベリウス、交響曲第3番
パーヴォ・ベルクルント、ヘルシンキ・フィル(EMI)
シベリウス。実は20世紀の作曲家でした。
シベリウスは90歳を越える長命な人でしたが(第2次世界大戦後まで存命でした)、交響曲は7曲しか作曲しませんでした。
そのシベリウスの才能が発揮された交響曲は、この3番以降という事になるのは、衆目の一致するところだと思います。
彼の作曲で1番有名なのは、「フィンランディア」だろうと思いますが、彼の音楽を知るには、やはり、交響曲を聴くのが手っ取り早いです。
彼の音楽はよく「難解」であると言われるんですが、その原因は演奏に多分にあると思います。
彼の交響曲は意外と全集録音があるんですけども、彼の音楽の真価を伝えるものはとても少ないです。
クラシックを聴くと、有名な指揮者やオケを頼りにCDやレコードを購入してしまいがちですが(ベートーヴェンやモーツァルトはそれでヘタを打つことは少ないですけど)、シベリウスはそういう事は絶対にやめた方がよいでしょう。
シベリウスの音楽は、とても寡黙で繊細です。
腕前のあるオケや一流の指揮者は、どうしてもそこにイロをつけたがります。
彼の交響曲の第1番、第2番はそれでもいいと思いますが、3番以降でやってしまうと、途端に何も語ってはくれなくなります。
その点、ベルクルントは、フィンランドの指揮者で、生涯をシベリウスの研鑽に捧げたような人でしたが、こういう身も心も捧げ切ったような人こそがシベリウスには適任です。
ベルクルント。左利きです。
30分にも満たない曲ですけども(シベリウスの交響曲はどれもそれくらいの長さです)、冒頭から北欧の厳しい自然が広かっていくようで、もうまるで他の演奏とは違います。
オケは絶対に強奏せず、常に全体のバランスが考えられていて、音が溶け合っているようです。
もう、オーケストラというよりも、シベリウスの音楽が目の前で鳴っているという感じて、音が身体に自然と染み込んでいくんですね。
劇的な狙いが一切ないので、そこが物足りなく聴こえるかもしれませんが、繰りかえして、身を浸すように聴いていくと、この表現こそがシベリウスの真骨頂である事がわかってきます。
他の演奏だと、金管がやかましかったり、木管が雑だったり、弦がどやしつけてくるようだったり、無理にドラマティックだったりして、とても不自然です。
ベルクルントは、スルスルッとどこにも鋭角がありません。
そこにあるのは、どこまでも澄み切った北欧の自然の美しさです。
そして、創造主たる神への慎ましい讃歌なのでしょう。
エッ、そんなに呆気なく終わるの?という終わり方ですが、それがシベリウスの魅力です。
喜怒哀楽に直接訴えてくるところが全くないので、そこが「難解」だと思いますけども、そこはトレーニングとして繰り返し聴いてアタマを切り替えていく事で身体がわかってくるでしょう。
そのために最も適しているのが、ベルクルントがヘルシンキ・フィルで録音した全集を買うべきであって他は後からでも間に合います。
ヨーロッパ室内管弦楽団との全集もありますが、迷まずヘルシンキ・フィルにすべきです。
偶々、ココでは3番を取り上げましたが、この説明は彼の3番以降の交響曲全てに言える事であって、3番が1番聴きやすいので、便宜的に取り上げました。
勘違いしていただきたくないのは、3番の内容が薄いという理由ではないのでその点は誤解のないように。
3番が気に入りましたら、6番、5番、4番、7番の順に聴くことで、更にディープに理解度が高まること請け合いです。