mclean-chanceの「鯔背でカフェオーレ」

ジャズ以外の音楽について語るブログです。生暖かく見守ってください。

イエスの最期を大河ドラマとして描いた傑作録音

J.S.バッハマタイ受難曲

 

 
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フィリップス盤の『マタイ受難曲』。マタイを熱愛する宇野功芳氏が解説書いてますね。

 
 
古楽器好きな人だったら、ひっくり返るかもわかりませんが、コレが、私が初めて購入したバッハのCDなんですよね(笑)。
 
 
大学1年の頃でしたが、当時、日本盤が7500円しました。
 
1939年4月2日のオランダ、アムステルダムでのライブ演奏(ナチスドイツがポーランドに侵攻した年ですよ)。というとんでもなく古い録音を買ったのも初めてでいろんな意味で初めてづくしでした。
 
メンゲルベルクとコンセルトヘボウのコンビを聴くのも初めてでしたね。
 
初めてづくしの本作ですが、今の水準で聴くと、びっくり仰天ものです(笑)。
 
今の演奏ではやってはいけないことのオンパレードで、「こんなにやってもいいんだろうか?」とすら思いますが、全てはメンゲルベルクが音楽上の必要からやった事であり、当時の学説に従いつつ、自らの表現にしているんですね。
 
バッハの楽譜にあるフェルマータ記号は、息継ぎの意味で使われていたことが現在はわかっているのですが、メンゲルベルクは、全部、フェルマータとして音を伸ばしています(カール・リヒター以降は、息継ぎとして演奏してます)。
 
全体のテンポは恐ろしく遅く、常に細かくリタルダントが入って、演奏が微妙に揺れており(ヘタなのではなく、驚異的なリハーサルでコントロールして行っているのです!)、ものすごく微に入り細に入り徹底してメンゲルベルクの意図が加わっていて、もはや、バッハというよりも、完全にメンゲルベルクの音楽に作り変わっています。
 
チェンバロやピアノといった、指定されてない楽器は入ってますし、現代楽器で大編成のオーケストラで、ソリストは、時にやりすぎなくらいに声をずり上げたり張りあげたりしてかなり芝居がかっており、この辺はさすがに時代遅れだと思います(くどいアリアは飛ばして聴きます)。
 
しかも、第2部にかなり大胆なカットを加えていますね(アリアのカットが多いです)。
 
メンゲルベルクのカットは私は1つの見識として、やってもいいと思ってます。
 
リヒターの全曲演奏も、正直言うと、私はツライ(コレは当時のバッハ研究の最高水準で演奏は大変なものですが、今ではもう古いスタイルになりましたね)。
 
私は、現代人が全部聴き通すにはメンゲルベルクの第2部のアリアをかなりカットしたくらいでいいと思ってますけどね。
 
マタイは大変長いので、忙しい生活している現代人に全曲聴けというのは、酷でしょう。
 
メンゲルベルクのテンポで全曲やったら、オケも歌手も観客も持たないですね、多分(笑)。
 
それにしても、一音たりともないがしろにせず、すべてを自分のコントロール下に置いてしまうメンゲルベルクの在り方は、唖然とせざるを得ませんね。
 
オケが丸ごとポルタメントし、リタルダントしていくんですよ。
 
そうかと思うと一丸となって爆発するような雄叫びを上げたり。
 
こんなオーケストレーションは、今では全く聴けないスタイルなのですが、オケも合唱もソリストも、全身でイエスの最期という悲劇を極限までドラマティックに歌い上げるのを聴くと、他の演奏が生温くて聴けなくなってしまうんですね。
 
エスだけワザと力を抜いた歌い方にして、彼の存在を際立たせ、福音史家は、思い切り感情を込めることで、強いコントラストを聴き手に与える演出が取られてますね。
 
バッハは古楽器演奏の方が、私は好みですが、この『マタイ受難曲』だけは、どうしてもこの演奏でなくてはならないのです。
 
この強烈な演奏を超えるものにはなかなかお目にかかれそうもないです。
 
古楽器好きな方が何を言おうと、私はコレを推します。
 
この曲は合唱が分厚くてドラマティックな方がやっぱり感動的なんじゃないかなあと、思うんですよね。
 
古楽器編成だと透明な美しさは出せますが、イエスを群衆が避難するような劇的な場面がいかんせん迫力不足になってしまうのは否めないです。
 
いざと言う時の迫力は、メンゲルベルクとコンセルトヘボウは桁外れです。
 
私の望みは、メンゲルベルクの時代がかったアリアが修正され、メンゲルベルクと同じカットをした現代楽器で大編成の『マタイ受難曲』(ピアノ、チェンバロも当然入れます)を聴くことなのですが、そう言う無謀な挑戦をしてくれる人たちはいないかしら(笑)?
 
キリスト教徒でない私には、どうしても『マタイ受難曲』が濃厚な人間ドラマに見えちゃうんですね。
 
ルキノ・ヴィスコンティの『山猫』とか、そう言う豪華絢爛たる悲劇に見えるんです。
 
バッハが聞いたら怒るでしょうけど、私は音楽というのは、常に「現代人」が感動しないと意味がないと思ってますので、18世紀のドイツ(当時は統一国家ではありませんが)の演奏がどうあったのか?よりも21世紀の私たちが感動するかどうかに意味があるので、バッハがどう考えたとしても、感動できなかったらやっぱりダメなのかなあと。
 
個人的には、第47曲アリア「憐れみたまえ」のヴァイオリンソロのすすり泣くようなポルタメントと、アルトの絶唱に呆然としてしまう(観客のすすり泣きが聞こえます!)。
 
ちなみに、朗報としまして、本作はタワーレコードの企画ものとして、大幅に音質が向上したCDが発売されておりまして、しかも、2500円ほどで買えてしまいます。
 
元々、これ、フィリップスから出ていたのですが、フィリップスがデッカに吸収されたので、デッカ名義になってますが、すごい違和感がありますね(笑)。
 
 
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オケを猛烈に鍛え上げ、自らの手足となるまでしごいたという伝説的な指揮者でした。ほとんど独裁者。。