J. ガイルズ追悼。
The J. Geils Band『The J. Geils Band』
なんの予備知識もなく聴いた時の衝撃はものすごいものがありましたね。
マジック・ディックの歌いまくるハープ、細かい技とかはどうでもよいJ ガイルズのギター、そして、ピーター・ウルフのいい具合によれた歌声が醸し出す、彼らにしか出せない独特のいなたい味わいが、デビュー作でもう完成の域に達してしまっているんですよね。
2枚目もいい作品なのですが、愛聴したのは圧倒的にこちらです。
楽曲もとてもシンプルで、ひたすらブルースをカラッと衒いもなく、肩の力がうまく抜けているところが、新人ばなれしたものがありますよね。
60年代のアメリカはビートルズやローリング・ストーンズといった英国ロックの衝撃に、アメリカのロックは翻弄されていたところがありますが、CCRの登場によって、「そうか、オレたちが本場なんだから、本場として自分たちの持っているものを出せばいいじゃないか」という事に気づいて、アメリカからも土臭いロックがいたるところで出現するわけですけども、J.ガイルズ・バンドのそういうものの中の1つと言ってよいでしょう。
彼らのよさを説明するのって、実はとても難しいんですけども、1つは、サウンドの作り方が常に音をギュウギュウに詰め込まず、すき間とか間合いがうまく取られているところでしょうね。
全員があんまり余計なことを言わない感じです。
そこに、ピーター・ウルフのよれた歌が絡むと、曰く難い味わいが生まれるんですよね。
80年代にはかなりポップしてしまい、大ヒットを出すことはできましたが、私は初期の方を高く評価したいです。
ブルース・スプリングスティーン好きな人には納得の1枚!
Ronnie Spector『Unfinished Business』
マイッタ!
モロ、私のストライクゾーンど真ん中!
バックバンドが、Eストリート・バンドしているではありませんか!
「Eストリートバンド」がなんだかわからない人は、ブルース・スプリングスティーンの『Born to Run』というアルバムを聴くこと!
どうです?モロ似てるでしょ?
このアルバム、ヴォーカルをブルースに差し替えたら、ちょっと軽めの彼のアルバムに聴こえますよ。
しかし、このアルバムは、ブルースのアルバムそっくりに作ったのではないんですね。
むしろ、ブルースが彼女の音楽が好きだから2人の音楽は似ているんです。
順番が逆なのです。
名前から、お分かりの通り、彼女のは、フィル・スペクターと結婚してました。
フィル・スペクターが送り出したグループの中でも飛び切り素晴らしかった、「ザ・ロネッツ」の1人だったんです。
なので、この段階でかなりのキャリアなんですね。
ブルース・スプリングスティーンには、二大アイドルがおりまして、その1人がフィル・スペクターで、もう1人が、ロイ・オービソンなのです。
ブルースのヴォーカルとクラレンス・クレモンスのアルトサックスがド熱いので、マッチョな音楽に聴こえますが、ブルースの音楽は、アメリカン・ポップスが濃厚にあります。
実際、フィル・スペクターもビックリなほどの音の壁を作っております。
本作は、ブルース・スプリングスティーンを経ての、フィル・スペクターへのリスペクトであり、それはそのまんまロニー・スペクターへのリスペクトになっているわけなんですね。
それにしても、ロニーの歌声は全然衰えてませんね。
一時期は活動がかなり低迷していたと思うのですが、「フィル・スペクター・サウンド」を愛好するミュージシャンたちのいろんな形のリスペクトが、彼女を表舞台に引き戻したんでしょうね。
彼女が歌うと、あの甘酸っぱいアメリカン・ポップスの世界がドッと戻ってきますねえ。たまらないです。
と、このCD、ボーナス・トラックを見ると、なんと、Eストリートバンドがバックバンドになっているシングル曲がついているではありませんか(笑)!
しかも、感涙モノの名演ですよ、コレ。
ステレオ版とモノ版の両方ついているのが嬉しいじゃないですか。
ビリー・ジョエル作の「Say Goodbye to Hollywood」は、完全に彼女たちのモノになってしまいましたよ!
こういうボーナス・トラックは大歓迎です。
アメリカを強くしていたのは、混血である事を痛感する名盤。
Joe Bataan『Salsoul』
最近のジョー・バターン。
フィリピン人とアフリカ系アメリカ人の混血という、ニューヨークのような人種のごった煮を象徴するようなジョー・バターンの1970年代の代表作の1つ。
不勉強で、ニューヨークのラテン・コミュニティの音楽についてはそれほど詳しくないのですが、ジャズを聴いていると、その隣に中南米音楽が間違いなく鳴っていた事は、だんだんとわかってくるものです。
ジョー・バターンは、ジャズもサルサも煮えたぎっていた頃のニューヨークで、ソウルフルなサルサ、すなわち、「サルソウル」を打ち立てた伝説的な人物で、80年代以降は活動があんまり伝わらなくなっていたのですけども、2000年代になって突如アルバムを発表し、コレが全くブランクを感じさせない出来であった事から、日本でもバターンの再評価が高まっていった。という流れなのだと思いますが、本作は、その彼の全盛期を捉えたアルバムです。
現在だと、「レアグルーヴ」という分類になるような、いかにもアナログで聴いたら最高な音作り、ラテンとファンク、ソウルが絶妙なバランスで融合した、その独特のミクスチュア感覚がとても今日的で、まさにバターンの出自通りの見事な「混血音楽」だと思います。
どの曲も素晴らしいのですが、どちかというと、LPのB面以降が私の好みですね。
インストナンバーの「ラティン・ストラット」の気持ちよさ、マーヴィン・ゲイやジョン・レノンもびっくりなド直球の名曲「Peace, Friendship, Solidarity」(平和、友情、連帯)は、バターンの代表作と言っていいんじゃないでしょうか。
こんな赤面してしまうような理想主義が、まだこの時代には本気で信じられていたんですね。
昨今のアメリカの様子を見ていると、このジョー・バターンのまっすぐで、かつ、しなやかな主張は、見直されなくてはならないのかもしれませんね。
追伸
2017年12月に来日したのを見たんですが、ホントに元気で声も全く衰えてないので、驚きました。
素晴らしいライブでした。
ついつい会場でLPを購入してしまいましたが、やはり、アナログで聴くに限る音楽でしたね。
クリス・デイヴだけで買いです。
John Legend『Darkness and Light』(columbia)
目ざといな。と思いました(笑)。
クリス・デイヴ(drms)、ピノ・パラディノ(b)、カマシ・ウォーシントン(ts)を起用するとは。
まあ、それだけ、グラスパー一派の与えた衝撃は大きかったのですね。
カニエ・ウェストの舎弟として、ラッパーではなく、ソウルの方向に進んだジョン・レジェンドですが、「The Roots」をバックに従えのアルバムがものすごくカッコよくて、とても愛聴していたんですがその次に出た作品が今ひとつでチョットがっかりしていたんですが、今回は、前述のメンバーを起用してサウンドの刷新を図ったのが見事に大当たりでしたね。
とにかく、クリス・デイヴですよね。
彼のドラムが全編にわたって大活躍です。
バスドラとスネアだけでほとんど成り立っているような、まことに特異なドラムですが、ソレだったらプログラミングでもおんなじなんでは?というところを敢えて人力でやっている、というか、人間がマシンの運動を習得しているというか、その事が生み出す新しい感覚が気持ちいいんですよね。
なんというか、今までマッサージされた事のない場所をグッと押されて、予想外にいた気持ちいいところを突かれたといいますか(笑)。
私は音楽を聴く時に、そう言った、何か刺激されていない快感がまだあるんじゃないのか?というものを求めているところがありまして、ソレが現在のドラマーだと、完全にクリス・デイヴですね。
レジェンドが彼を起用したのは、なんちゃってでも、豪華なくアルバム作ってますよ感を出すのでもなく、あのユニークなドラミングを如何に活かすのか。を中心に据えている事が、聴いているとハッキリわかるんですね。
自分のエゴを抑えて、彼を中心に曲を作って行ったらどうなるのだろうか?という事を考えて作っているんですね。
コレは売れてくるとなかなかできない事だと思うんですが、それほどまでに、惚れさせてしまうクリス・デイヴのドラムが圧倒的に素晴らしいです。
まあ、レジェンドはこのドラムに対して、ディアンジェローのようなリズムの訛りを探求したりするところまではいってないんですけどもね。
まあ、それは贅沢な望みなのであって、クリス・デイヴの作り出すグルーヴに乗って、あの、ジョン・レジェンドが歌いまくっているんですから、極上のブラックミュージックですよ!
あと、ラリー・ゴールディングスのさりげないオルガンがよかったです。
最近のアフリカ系のミュージシャンのアルバムジャケットが白黒が多いのは偶然ではないと思います。アフリカ系アメリカ人が警官に不当に殺害されている事への無言の抗議なのでしょう。
Dr. Johnを知らないなんて事はないよね?
Dr. John『Creole Moon』『N'awlinz: Dis Dat or D'Udda』
2017年現在も現役で旺盛な活動をしている、最早、ニューオリンズの生き証人のような立場となったDr.ジョンですが、2001年という、アメリカが神経症を発症し、そのを原因をイラクやアルカイーダなどのテロ組織のせいにしていたという、地獄の季節に作られた本作は、久々に彼の中に眠る荒々しいエナジーがアルバムに刻印された、なんというか、「元気な中年のアルバム」なのでした。
ある意味、いつもの彼なんですが、バンドの演奏も彼のヴォーカルも、妙に気合が入っていて、90年代に入って少し穏やかな作風になっていた(ただし、中身は濃い)ところを、いい意味で裏切ってくれました。
彼の余りにも様々な要素が混合した作風は、一言で言うのは難しいのですけども、一貫してニューオリンズほ音楽を大切にし、まさに、「ニューオリンズ音楽の親善大使」を務めてきたのは、間違いのないところで、彼なくして細野晴臣も大瀧詠一もあり得ませんでしたし、世界じゅうにロックファンにニューオリンズのユニークな音楽を伝えた功績は、大変なものがあります。
Dr.のダミ声はとても魅力的で中毒性がありまして、好きになると、トコトン追いかけたくなります。
参加しているミュージシャンはそれほど私は詳しくないのですが、若い世代を起用しているのだと思います(間違ってたらスンマソン)。
ものすごくブルースギターの演奏が耳に残るなあ。と思ったら、サニー・ランドレスでした(笑)。
そりゃいいわけだ!
ベテランでは、ファットヘッド・ニューマン(テナーサックス)、フレッド・ウェズリー(トロンボーン)の名前が見えますね。
Dr.の音楽は、どちらかというと、自分の世界を追求するタイプなのですが、大傑作『Gris Gris』や本作、そして、2012年に出た『Locked Down』のような、時代の空気を絶妙に取り込んだ作品を思い出したように発表するアブないところがあって、そこが魅力なのですが、本作も、「テロとの戦争」という、無謀な戦争が始まってしまったアメリカの空気を彼なりに取り込んだ、いい緊張感がみなぎる作品です。
当時の私はジャズに熱中していて、ほとんどのジャンルの音楽をおいてきぼりにしていたので、このアルバムの存在をしばらく知らなかったのですが、コレはDr. ジョンの代表作の1つと言ってよいアルバムです。
コレに対して、『N'awlinz: Dis Dat or D'Udda』の方は、ストリングスまで加え、豪華なゲストを多数加えた、リラックスした作品で、元の彼に戻っていますね。
リラックス。とはいえ、彼の悲しみはむしろ深まっていて、まるでニューオリンズの葬儀に流れるような調子の歌から始まり、次の曲が、明るい曲になるというのは、ホントにニューオリンズの葬儀の音楽の流し方(行きは悲しく、帰り道は明るい曲になるのがニューオリンズの流儀で、アフリカの葬儀でもしばしば見られる事です)で、あたかもテロや戦争の死者への弔いをしているようなアルバムです。
むしろ、怒りや悲しみは深まっているのでしょう。
この2in1のCDを出したのは、音楽愛好家にとって大変重要なレーベルであるRhikoなのですが、恐らくは、単にお得だから作ったのではなく、この2枚は続けて聴くことに意味があると考えたフシがあります。
音楽は、政治的な暴力を前にして無力です。
しかし、であるからこそ、ラディカルたり得るというのもまた事実ですね。
そういう事を改めて考える次第なのでした。
彼らの怒りは未だに有効である。
Rage Against The Machine『Evil Empire』
ヤバいジャケットですよね、コレ(笑)。
レイジ・アゲンスト・ザ・マシーンの2枚目にして、最高傑作。
まず驚くのは、バンドのサウンドが前作と比べて、作り込みが相当すごくなっているにもかかわらず、むしろ、無駄が削ぎ落とされたような印象を与える事ですね。
音の隙間がものすごく活かされていて、ヴォーカル、ギター、ベイス、ドラムスがそれぞれクッキリ聴こえます。
それこそ、初期のミーターズ並みにクッキリしてますね。
特に変わったのはギターだと思います。
ギターが変わったので、ベイスもドラムスも変わり、よりザックのラップがクッキリとしてきたのではないでしょうか。
トム・モレノは、これまで聴いたことのないような独特の音をギターで作り出し、まるで、ターンテーブルのスクラッチノイズのようにものすごく即物的にギターを扱っていて、ロックギター的な要素が限りなくなくなっているのがすごいですよね。
ギターリフのアイディアもこれ以上ないくらいにシンプルなのに、これまでの誰にも似てない独特なリフをこれでもかこれでもかと繰り出してくるのに驚いてしまいますね。
もともとヴォーカルはほぼラップですから、フロント2人にメロディの要素が少なくなってくると、ベイスがものすごく際立つわけです。
そんなに独特なリフを弾いているわけではないんですが、ザックとトムが作り出している隙間にヒップホップを思わせるベイスラインを弾くと、これほどカッコ良く聴こえるのかと驚きますね。
ドラムスもこれにともなって、バスドラとスネアがほとんど音の基調になっていて、出ている音はデカいですが、手数は前作よりも減っています。
こうする事でどちらかというと押しまくり気味の楽曲が多かった1枚目と比べて硬軟併せ持つ楽曲になっていったところが彼らの成長を感じます。
その結実が本作が「Without A Face」であると私は思うのですが、どんなものでしょうか。
トム・モレノのギターはほとんどヒップホップのバックトラックのノイズやターンテーブルのスクラッチノイズを担当していて、ティム・ボブのベイスとブラッド・ウィルクのドラムスはまるでバックトラッカーが作り出したループを演じているかのようで、ここにザックの怒りのラップがかぶる快感はとてつもなく、それでいて、ヘヴィメタルのように曲が突然展開するというのは、ものすごいアイディアですよね。
たったの2枚目のアルバムで音楽的にここまで成長してしまったというのは、すごい事ではありますが、だんだん、ライブでの再現が困難になっていき(特にトム・モレノが物理的にエフェクターを切り替えていくのがかなり困難です)、本作からライヴで演奏されるのは、比較的トムのギターリフがロックギターしている曲が多くなってしまうという事が起きてしまっています。
ビートルズからのジレンマではあるのですが、そこにたったの2作で陥ってしまうというところにこのバンドの物凄さを感じます。
この後、またしても長い間をあけて『Battle of Los Angeles』を発表しますが、本作が行き着いたヒップホップ化、ファンク化はかなり諦めてしまって、ハードロック調になってしまい、それから程なく一旦解散してしまうのは、ある意味致し方なかったのではないでしょうか。
驚きのPVの一場面。。
からの竹内まりあです。
竹内まりや『Longtime Favorites』
1960年代のポップスのカヴァーのみを収録した、実に肩の力が抜けたアルバム。
山下達郎と大瀧詠一のデュエットがそれぞれ一曲ずつ入っているのが目玉ですが、それが仮になかったとしてもこのアルバムは傑作と言ってよいでしょう。
彼女のすごさは、どの曲を歌ってもすべて彼女の曲になってしまうところです。
あたかも彼女のための曲になってしまうんですね。
カヴァーというのは、あんまり自分に引き寄せすぎてもいけないし、かと言って、あんまりオリジナルにより近づけると、カヴァーしている意味がなくなってしまうので実は結構難しいです。
ましてや、ここで取り上げている曲は、どれもこれも大ヒット曲ばかりで、オリジナルを知らなくても誰かのバージョンで必ず一度は耳にしているというものですから、どうしたって比較対象となってしまうのですが、彼女の歌唱はやはり桁が違っていますね。
私が特に気に入ったのは、「なみだの16才」、「ボーイハント」、「そよ風にのって」、「悲しきあしあと」、「ジョニー・エンジェル」、「砂に消えた涙」、「恋のひとこと」、「この世の果てまで」。
特に、「そよ風にのって」、「悲しきあしあと」、「ジョニー・エンジェル」、「砂に消えた涙」の4曲はホントに見事だと思いました。
逆に、イタリア語で歌うカヴァーは私は彼女の芸風と合ってないと感じます。
一部、服部克久がアレンジしてますが、他はすべて山下達郎がアレンジをし、楽器演奏の大半をこなし、バックヴォーカル、果てはデュエットまでしているのですが、「悲しいあしあと」をニューオリンズ風にアレンジするセンスには脱帽です。
また、「ジョニー・エンジェル」の女性コーラスの透明な美しさは、まさに絶美!
本作発売時点で、すでにアルバム制作としては「ヴィクトル・エリセ状態」になっていた大瀧詠一とのデュエットですが(これを呆気なく実現させてしまうのが、竹内まりあの神通力なのでしょう)、コレを聴いていると、返す返すも大瀧詠一にはあと一枚アルバムを作って欲しかったという思いが募りますね。残念。