mclean-chanceの「鯔背でカフェオーレ」

ジャズ以外の音楽について語るブログです。生暖かく見守ってください。

個人的にはコチラの方が好きです。

Carol King『Music』

 


キャロル・キングと言えば『つづれおり』。が余りにも売れすぎてしまい、もう何も語る気が起きなくなってしまうんですけども、次作の何とも愛想のない、売る気ゼロなタイトルのアルバムは、個人的には、『つづれおり』よりも愛着があります。


このアルバムへの愛着がより深くなる原因は何と言っても「Brother, Brother」ですね。


大変素晴らしいのですが、なんとシングルカットされていないんですね。


エレピ、アコースティック・ギター、ベイス、パーカッションのみのシンプルな演奏にカーティス・エイミーのテナーのソロとキャロル・キングのピアノ演奏を加えているもので、冒頭がかのマーヴィン・ゲイの大名曲に似てますけども、内容はヴェトナム戦争とは無関係な、キャロル・キングの隠れ名曲だと思うんですよね。

 

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ベテランのジャズミュージシャンをゲストに参加させるというのが、1970年代のロックですごく流行りましたが、このアルバムではカーティス・エイミーです。


コレに続いて、カーペンターズがカヴァーして、大ヒットした「It’s Going to Take Some Time」が畳み込まれるという展開は本作の白眉でして、最早何も言うことはございません。


それ以降は比較的地味ですけども、それはあくまでも「比較的」なのであって、どえらいメンバーを揃え、潤沢な製作費で作られた、全盛期のキャロル・キングの演奏ですから、どれもこれも捨てる要素がないんですよ。

 

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やはり、ゲスト参加している、ジェイムズ・テイラー


B面の一曲目がタイトル曲ですが、カーティス・エイミーのテナーソロが盛大にフィーチャーされている6/8拍子の演奏で、インスト曲の要素がとても強かったして、この曲をアルバムのタイトルにすると言うのは、よく考えるとなかなかすごいですよね。


いやー、この頃のアメリカの音楽は途轍もなくチカラがありますよ。


『つづれおり』しか持っていない方にこそオススメしたい名作です。

 

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『つづれおり』はネコが映ってますが、実は犬派なのでしょうか?

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驚くべき才気!

Jimmy Webb『Words and Music』

 

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若き日のジミー・ウェブ。

 

 

 

彼のアルバムは聴いていたんですよ。

 

山下達郎の『サンデーソングブック』という長寿番組を聴いていると、名前がよく出てくるんで。

 

あまりピンとこなかったんですよ。

 

しかしですね、「こんなのつまらんから売ってしまおう」とも思わなかったんですよ。

 

何かこの人の魅力に私が気がついてないんだな。と感じたんです。

 

こういう経験は私の音楽視聴経験で結構ありまして、ヴァン・モリソン『Astral Week』とかリー・コニッツ『Motion』、キース・ジャレット『Standard Live』、マイルズ・デイヴィス『Sorcerer』、『Aghartha』は聴き初めの頃はサッパリわからない作品でした。


ジミー・ウェブもそんな感じだったのですけども、このアルバムを聴いて、この人の魅力がわかったんですね。

 

ソングライターとして活躍してしつつ、ソロシンガーに転向したという人は60年代末から70年代に多いですけども、ウェブもその中の1人で、コレは1970年に発表された第2作目なんですけども、本人はコレがホントのデビュー作と考えているみたいです。

 

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かのグレン・キャンベルもジミー・ウェブの曲でヒットを出してました。


お世辞にもヴォーカルがうまいとは言えないのですけども、その切実さが声からヒシヒシと伝わってきて、むしろ稚拙さは魅力的です。


クレジットを見ると、演奏の大半はジミー・ウェブとスティーヴ・タケットが行っていて、それ以外がゲスト扱いという感じです(タケットは後にリトル・フィートのメンバーとなります)。


当時、ここまでマルチプレイしている人というのは、スティーヴィ・ワンダのような例外を除けば、かなり珍しいですよね。


当時のロックの隆盛を考えると、ウェブもロックの文脈で理解されてたと思いますけども、ウェブのソングライティングは、軽々とロックを超越している、「アメリカン・フォーク・ポップス」とでもいうべきもので、ものすごく洗練された楽曲の構造を持ちながらも、どこか土臭くて、素朴な味わいがあるという、絶妙な立ち位置が既に確立していて、そういうところが、大瀧詠一山下達郎などにも少なからず影響を与えているような気がします。


というか、彼らの優れた楽曲を通じて、ジミー・ウェブの素晴らしさがようやくわかってきた。というべきなのでしょう。


A面はシンガーソングライターとしてのウェブの素晴らしさ、B面はプロデューサー、アレンジャーとしての凄さが際立つ作りになっていて、どちらも素晴らしいのですが、「作られれなかった映画の音楽」という三曲からなる組曲が入るなど、バッファロー・スプリングフィールドなどの先行する実験を更に発展させ、あたかもミュージカルのように聴かせ、しかも、コンパクトにまとめるという才能は並々ならぬものを感じます。


残念ながら、ウェブの70-80年代のアルバムはいずれも売り上げが芳しくなく、壮大なミュージカル大作のようなものを作るには至っていませんが。。

 

ゲストに参加しているスーザン・ウェブ(ジミー・ウェブの妹です)のガラス細工のように繊細なヴォーカルとの掛け合いは、本作の聴きどころでして、アソシエーションの大ヒット曲「Never My Love」を含んだ「Three Songs」では、スーザンをメインヴォーカルにして、ウェブがバッキングに回っている、2分10秒ほどの短い曲は、ため息が出るほど素晴らしいです。

 

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ソロ作がたったの1枚のみのスーザン・ウェブ。ジミー・ウェブの妹です。


「Let It Be Me」、「Never My Love」、「I Wanna Be Free」をマッシュアップして1つの曲にしてしまうという、才気。見事という他ないです。


ちなみに、「Never My Love」はあのジャニーズの全米デビュー曲として準備してされていたものである事が後年明らかになっています。


時代を完全に超越した、途轍もない傑作。


現在、入手がやや困難なようですが、気長に待てば入手はできると思います。

 

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イーノは難しくありません!

Brian Eno『Taking Tiger Mountain(by strategy)』、
『Another Green World』、
『Before and After Science』

 

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若き日のイーノ。現在はアーティストとしても活躍してます。


ブライアン・イーノがイヤなのではなく、彼を取り巻く言説がどうに好きになれない。


イーノはそれこそ、デイヴィッド・ボウイやトーキング・ヘッズU2のアルバム制作に関わっているような人なわけですし、ポピュラー音楽への貢献が何よりも大きい人ですよね。


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いずれもロック史に名を残すアルバムであり、売り上げでも結果を出しているのが、イーノのプロデューサーとしての凄さである。

 


アートスクールに行っていた事は、短期間在籍していた、ロクシー・ミュージックの初期の活動に強烈な個性を与え、脱退後は完全にブライアン・フェリーのバンドに漸次変貌していきました。


とはいえ、多くの人々が惹かれたのは、イーノのそういうポップな側面であり、私もそこが好きなのです。


そことアートな部分と、いわゆる「アンビエント・ミュージック」などを分断して、「アートなイーノ」、「アンビエントなイーノ」のみを強調するのがどうしても飲み込めないんですよ。


多分、イーノにとっては、どちらも同じ地平にあるものだと私には思っていて、その事を1970年代に出されたイーノの3作のソロアルバムを中心に語ってみようというのが本稿です。


まず、イーノという人は、根っからのプロデューサー気質であると思いますね。


それはロキシーにもものすごく感じるんです(ロキシーはバンドですから、フェリーなどの考えも当然反映されてますけども、それでも。という事ですね)。

 

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初期のロキシー・ミュージックの方向性をつけたのは、間違いなくイーノでしょう。


イーノの音楽はとても醒めていますよね。


もう少し難しい言葉を使えば、批評的です。


自分の考え方とかコンセプトがまずあって、それをとても知的に組み立てて作っているんですよね。

 

決して、優れているとは言えないイーノのヴォーカルは、不思議ですけども、彼の作り出すとてもあっているんです。


それは、自分のヴォーカルをどういうサウンドに置くとピッタリくるのかをちゃんと考えているという事です。

 

1960年代の、とりわけ、その前半のロックは、ロックンロールやブルース、R&Bなどをいかにして自分のものにするのか?を演奏面、作曲、編曲で試行錯誤していたように思うんですよ。

 

それをフィル・スペクターなどの影響が大きいと思うのですが、スタジオでの編集やミックスによっても可能である事に気がついた人々が出てきて、その試行錯誤が、ロックを急激に発展させていく事になりますよね?


イーノの出現は、その、ビートルズビーチボーイズなどによるスタジオワークにおける凄まじいまでの編集、ミックスが前提としてありまして、イーノはその編集行為それ自体が作曲であろうし、アレンジなのだと気がついたんだどう思います。


そして、それは譜面や楽器の演奏能力などに依拠しない、ものにすらなっていたのではないでしょうか。

 

それは今日のパソコンですべて編集して音楽制作が可能となっている今日では最早当たり前の事なのでしょうけども、イーノの頭の中は、そんな考えが一般化していない時代に既にそのように考えていたのだと思います。


なので、基本的な演奏は自分で行い、自分にできない、あるいは、一定以上の演奏能力を要する部分を他のミュージシャンを起用して作っているというあり方で、すべてイーノのディレクションが一貫してあるという感じですね。


なので、常に音楽が俯瞰的です。


その俯瞰する能力はそのままプロデューサーなどとしての活動に直結しているわけですよね。


ドミューンという、ネットで配信されているライブ配信の草分け的な番組で、京都で行われているブライアン・イーノ展についての番組が配信されていたのを見ていたのですが、「イーノの音楽的ルーツはヴェルヴェット・アンダーグラウンドジョン・ケージですよね」と解説されていた方がいまして、ここで挙げられているソロ作品は、まさにイーノにとってのヴェルヴェット・アンダーグラウンドへのオマージュなんですよね。


敢えてのヘタウマな演奏は、もうほとんどヴェルヴェッツとしか言いようがないですし、結局、それが70年代後半以降のニューヨークで勃興したアンダーグラウンドな音楽とイーノが結びつく素地です。

 

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ヴェルヴェット・アンダーグラウンドが後世に与えた影響は売り上げ枚数で測ることができない。チェコ大統領となる、ヴァーツラフ・ハヴェルにすら影響を与えたのだ。

 


イーノの音楽は、そういうものの先駆を成していて、そういうものに向かいながらも、当人は、『Music for Airport 』のような、空港で流れていたら、さぞ、心地よくなるのではないだろうか?という音楽を同時に作っていて、1つの事に決して夢中にならない人です。


イーノがものすごくギターが上手かったり、ヴォーカリストとして優れていたら、こんな風には絶対になっていかないですよね。


彼はジェフ・ベックのような演奏能力がそれほどあるわけでもないですし、バート・バカラックのような作曲、編曲能力もないわけですが、テクストを実に冷静に掴み出し、的確な場所に置く事やその場所そのものを設定する能力が優れているという、従来のミュージシャンとは全く違う能力を備えていたという事が、ミュージシャン/プロデューサーとして優れていたという事なのでしょうね。


それが、自宅のパソコンで音楽制作宅録可能な環境が当たり前になった事で、ようやくコモンセンスとして理解された。という事なのだと思います。


先程のドミューンで「イーノはジャズがキライなんだよね」という発言も、実に興味深いですよね。


イーノの批評力は、スタジオワークで発揮されるので、演奏でドンドンとバグや失敗、事故も引き受けながらその場で現在進行してしまう、とりわけ、ビバップ以降のモダンジャズとイーノの考え方は相いれません。

 

ジャズには、ジャズの批評能力というものはあると思うのですけども、流石に演奏それ自体による生成を否定するようなものではなく、演奏というものを通じてなされるという事が通常ですね。

 

そこにメスを入れたのがマイルズ・デイヴィスとテオ・マセーロでありましょうし、それを更に押し進めたのが菊地成孔であると言えると思います。

 

イーノは現場力でなんとかするのではなく、それはテクスト上で厳密に再現されている事が重要なのだと思います。

 


しかも、イーノはそれを楽譜のような形でテクスト化するのではなく、レコードというテクストにしているのが、きわめて20世紀的ですね。

 


この3作は、いずれもイーノの傑作ですが、どの作品もこれまで説明してきた事が当てはまり、つまり、これらはその意味で一貫した作品です。 


悪い意味ではなく、すべて同じアルバムと言ってもいいくらいで、それくらいイーノのコンセプトは明確であり、もう完成度が高いんですね。


基本は自分が演奏し、技術的に自分では難しいことや、そのミュージシャンの音が欲しいなどの理由で他のミュージシャンを起用すると言う作り方も3作ともに同じです。

 

その能力がそのままプロデューサーとして発揮され、70-80年代に爆発したのだと思います。

 

ほとんど戦後の小津安二郎のような鉄壁な統一感で作られたアルバム3作を是非聴いて見てください。

 

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ジャケットのアートワークも秀逸。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロックバンドとしてのSteely Danの最高傑作!

Steely Dan『Countdown to Ecstasy』


結論から言おう。傑作である。


しかも、「ロックバンドとしてのスティーリー・ダンの傑作」なのである。

 

 

ウォルター・ベカーが2017年に亡くなった事で、今後は「ソロユニットとしてのダン」が継続しているようだが、1981年に一度解散しているスティーリー・ダンは、初めは、れっきとしたロックバンドであった事はもはや忘れられているのかもしれない。


そう。


スティーリー・ダンの最初は、ロックバンドがフェイゲン/ベカーのSSWユニットに変貌していく歴史であり、その完成形が、かの『aja』なのですね。

 

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説明不要の(左から)ウォルター・ベカー、ドナルド・フェイゲン。この2人でのアルバムは2003年の『Everything Must Go』までとなりました。

 


今更『aja』が如何に素晴らしいアルバムであるのかは散々語り尽くされているであろうから、もはや繰り返さない(聴いてない人がもしいたのでしたら、是非とも聴いていただきたい)。


本作は2枚目のアルバムで、リード・ヴォーカルはフェイゲンに固定され、ヴォーカルだったデイヴィッド・パーマーはバッキング・ヴォーカルに(まもなく脱退)。


と、いきなり大胆な再編があり、ゲストミュージシャンの起用がデビュー作よりも多くなり始める。


が、まだ全体としてはギターサウンドを中心にした、ロックバンドなのだ。


しかし、そのリードギターの選択の仕方が最早ロックバンドの発想ではなく、プロデューサーとしてのそれである。


その後完成を見る、完璧無比なスタジオワークによるサウンドではなく、西海岸の土臭いロックとダンのモダンな美意識が驚くほど融合しあっていて、その塩梅が絶妙なのが本作で、コレが本作を傑作たらしめている。


デビュー作『Can’t Buy A Thrill』では、それらがバラバラなまま存在してケミストリーが乏しく(それでも魅力あるアルバムなのだから驚異なのだ)、第3作『Pretzel Logic』だと、もはやロックバンドではなくなっていて、むしろ、『aja』への過渡的な傾向がもう見られ、本作の土臭さがもうほとんど消し飛んでしまうのだ。


本作における魅力は、最早、望むことができないものであり、故に貴重なのである。


アルバム単位で見ると、ロックバンドとしてのダンは、最初の2枚までであり、2枚目で完成してしまい、後はフェイゲンとベカーによる苛烈なサウンド探求を優先し、ライヴすら放棄し、要するに完璧なレコードを作る事に専念するという、全くのベツモノに変貌してしまう。


要するに、名前だけが同じで内実はまるで違っているという事なのですね(笑)


結果として、フェイゲンとベカー以外は全員脱退してしまう事になるのだが、このメンバーの演奏力は決して悪いどころか、このバンド、相当に素晴らしく、要するに、この素晴らしいバンドのために選りすぐりの曲を提供し、自らも演奏した。というものの、最高傑作なのです。


最高傑作なるが故にもうこのバンドの使命はこの一枚で終わり。というのが、フェイゲン/ベカーのクールさなのでしょうが、普通はもう少し色気を出して、あと2枚はアルバムを出してカネを稼ぐものですが、そういうところに一切の執着がないのが、実に素晴らしい。


『aja』とともに愛聴していきたいアルバムです。

 

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『aja』よりも前のアルバムのジャケットはどうしてこうも冴えないのであろうか。謎。。

2021年はジャズ以外はこんな音楽を聴いていた。

2021年に聴いていたジャズ以外の音楽

 


【新作、旧作の区別なし、順不同】

 

Laura Nyro『Gonna Take A Miracle』、『Live in Japan』

Micheal Franks『The Art of Tea』、『Sleeping Gypsy

Michel Regrand『I Love Paris』

Ray Barretto『Barretto-Power』

Ronnie Dyson『Love in All Flavours』

Terry Huff & Special aDelivery『The Lonely One』

Migos『Culture 3』

Marianne Faithful『Strange Weather』

Robbie Robertson『How to Become Clairvoyant』

Earl Hooker『Play Your Guitar Mr. Hooker !』

Solange『A Seat at The Table』

V.A.『That’s My Dedire-Doo Wop Nuggets vol.3』

佐藤奈々子『Funny Walkin’』

近田春夫&ビブラストーン「Vibra is Back』

Bessie Smith『The Complete Recordings vol.2』『同 vol.4』

Biz Markie『Biz’s Baddest Beats』

Bob Dylan『Slow Train Come』

Booker T & Thé MG’s『The Very Best of Booker T & The MG’s』

Buffalo SpringfieldBuffalo Springfield』、『Again』

Cream『Gold』

Diana Ross & The Supremes『Anthology』

James Taylor『Sweet Baby James』

John Simon『Journey』、『Out on The Street』

Beethoven 『Symphony no.5』Sir Simon Rattle / Vienna Philharmonic Orchestra

Marhler『Symphony no.4』Eliahu Inbal / Tokyo Metropolitan Orchestra

同『Symphony no.6』Václav Neumann / Czech Philharmonic Orchestra

Dvorák『Symphony no.9』

Vaclav Smetáček / Prague Radio Symphony Orchestra

Ravel『String Quarte in F major』

Arcanto Quartet

V.A.『Niagara Triangle vol.1』

 

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ヴァン・モリソン入門として最適なアルバムにして屈指の名盤!

Van Morrison『Moondance』

 

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近年の御大。キャパの小さい、イギリスの会場でしかライヴをやってくれないのが困りモノです!

 


日本に来日していない、最後の大物ロックミュージシャンと言われるヴァン・モリソンですが(もう、一切海外でライヴをしなくなり、彼を見るためには目玉が飛び出るほど高いチケットをネットで購入し、イギリスで見るしかないです)、余りにも作品が膨大で途方に暮れてしまいますし、彼のアルバムの大半が現在廃盤となり、入手が困難であるという、大変難儀な状況にあるミュージシャンですが、何も聴いたことがない。という方にはまずはコレがオススメです。


ヴァンの人生はかなりの紆余曲折があるようですが、その手の本や雑誌を読むことに余り関心のない私にはそれはどうでもいい事であり、というか、ミュージシャンの事を知りたかったら、まずは作品を聴いて見ることが第一義であり、それ以外の社会的背景などは二義的な問題であるというのが、私の考えです。


ヴァンの音楽にはソウルやジャズと言った、アメリカの音楽からのダイレクトな影響があり、もう一つはアイルランド系イギリス人である自らのルーツを探究するものがあり(彼は北アイルランドベルファスト出身です)、両者はしばしば混交していき、それがヴァンを独自の存在たらしめていると思うのですが、本作は前者の要素が濃厚で、初期のビル・ウィザーズなんかとも比較できるような、70年代の新しいソウルミュージックでもあります。


ただ、ヴァンの歌唱は、野太い熱演型なので、ビルのそれとはかなり違いますが。


ヴァンが来日しないのは、大の飛行機嫌いである事が最大の原因なのですが(同じ理由で亡くなるまで来日する事がなかったのが、アリーサ・フランクリンです)、ヴァンは、ビートルズローリング・ストーンズのような知名度は、彼らとほぼ同世代の大ベテランなのに、全くありません。


ロックファンでも、「ヴァン・モリソン」という名前を全く知らない人は決して少なくないと思います。


1960年代にはゼム(やつら。という意味ですね)のヴォーカリストとして、短期間ですが、ヒットチャートを賑わしてはいた人なので、全くの無名ではないし、ずっとメジャーレーベルと契約し続けている人なんですけども、ソロになってからはアルバムもシングルも100位までにチャートに入るような作品は、本国イギリスでもまことに少ないです(2000年代に入ると、チャート上位にアルバムが入るようになりました)。


しかし、本作は珍しくアルバムがチャートに乗っかりまして(オランダでは最高位9位になりました)、「Crazy Love」は全米チャート100位にすら乗りました。


前作『Astral Weeks』は後にロック史に残る名盤と評価されていますが、売り上げは惨憺たるものです。

 

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ロック史に残る名盤で、最も売れなかったのでは?と思われる『Astral Week』。しかし、一度も廃盤になった事がありません。

 


音楽それ自体は難解というわけではありませんが、かなりとっつきにくいアルバムでして、アイルランドのトラディショナルな音楽とジャズを融合させ、ソウルの唱法で内省的な内容の歌詞を歌うというものは、余りにも時代を先駆けしすぎており、当時のジャズの文脈では評価不能でした。

 

コレに対するの反省があったのかなかったのかは知りませんが、本作はヴァンの作品としてはかなり聴きやすいです。

 

しかも、その聴きやすさは内容が薄くなったからという事ではないというところが素晴らしく、内容は実に濃厚です。


『Astral Weeks』と本作はその後のヴァンの作風を確立した二大傑作ですけども、初心者には圧倒的に本作がオススメです。


とりわけタイトル曲から、「Crazy Love」「Caravan」までの流れはほとんど奇跡的としか言いようがなく、その後の彼のアルバムは、ここでの繰り返しです。


決してとっつきやすいミュージシャンではありませんから、万人に好まれる人ではないと思いますし、それでいいと思うんですけども、一度好きになると、どこまでもついていきたくなる中毒性の強いミュージシャンである事も確かです。


一度で良いので、来日公演を行って欲しいものです!

 

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野太く力強いのに内省的。というありそうで実はほとんどいないスタイルのミュージシャンです。

 

フィル・ラモーンから考える。

Paul Simon『Still Crazy After All These Years』

 

言わずと知れたポール・サイモンの傑作ですが、コレ、プロデューサーに、ポール・サイモンと連名で、フィル・ラモーンの名前がありますね。

 

フィル・ラモーンといえば、主に1970-80年年代に数多くのアルバムのプロデュースやエンジニアとして関わり、多くのグラミー賞を受賞してきましたが、なんと、本作も最優秀アルバム賞を受賞しています。

 

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2013年に惜しくも亡くなった、フィル・ラモーン。亡くなるまで精力的に仕事に取り組んでいました。


その前後を見ると、フィービー・スノウ『フィービー・スノウ』(1974)ビリー・ジョエルストレンジャー』(1977)というアルバムのプロデューサーなんですよね。

 

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本作を含めた、3作には実はいくつか共通点があります。


1)アルバムのリーダーがシンガー&ソングライターである。


2)ジャズ/フュージョンのミュージシャンを多数起用


3)更に本作には、フィービ・スノウがヴォーカルで参加 etc.


もっと細かく見ていけばいくらでも挙げられますが、ここまで一貫した作りというのは、明らかにフィル・ラモーンが意図したものであったと思います。


この「ジャズメンの起用」の歴史は実は古く、ジャズとボサノヴァの大物が共演した有名作『ゲッツ/ジルベルト』に於いて、フィル・ラモーンはエンジニアとして参加しており、このアルバムの成功を、自身のプロデュース作でも実現させたかったのでしょう、フィービ・スノウのデビュー作では、なんと、ズート・シムズ(ts)、やチャック・イスラエルズ(b)と言ったモダン派だけでなく、大ベテランのテディ・ウィルソン(p)までも起用し、このアルバムは大ヒットして、スノウはグラミー賞の新人賞を取りました。

 

 

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コレもグラミー賞を受賞した『ゲッツ/ジルベルト』。

 


ここでの成功を受け、本作ではジャズメンだけでなく、マイケル・ブレッカーデイヴィッド・サンボーンリチャード・ティー、ボブ・ジェイムズ、ゴードン・エドワーズ、スティーヴ・ガッドなどをと言ったフュージョン・ミュージシャンなどを更に大胆に起用し、更に、引き続きフィル・ウッズ、グレイディ・テイト、エディ・ダニエルズと言った、ジャズメンに加え、ベルギー人のハーモニー奏者トゥーツ・シールマンスまでもが参加し、最早、ロックではなく、かなりのアーバン・ポップスなサウンドになりつつも、ポール・サイモンの素朴なヴォーカルによって、思ったほどAORな音楽には聞こえません。


フィル・ラモーンのプロデュースは、自分のコンセプトの鋳型にはめ込んでいるのではなく、それぞのソロミュージシャンの特質をちゃんと活かした上で行っているのであり、また、ポール・サイモンの個性は、決して埋没してはいません。

 

やはり、フィル・ラモーンは優秀はプロデューサーと言わざるを得ません。


久々に元相方である、アート・ガーファンクルをゲストに招いたり、フィル・ウッズに怒涛のソロを取らせるとか、サービス満点なところもよいですね。


個人的には、この3作の中ではフィービ・スノウが好みですが、どれも優れたアルバムである事は間違いありません。

 

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あくまでも、ポール・サイモンの世界です。